今、豊橋市長選前の重要なやり取りを毎日のように複数の方々と行っている。
投票の呼びかけではなく、準備というか、調整というか・・・
私の言動が票につながっていくかも、と思うと、とても慎重になる。
自分が、影響を与える源流にいる気持ちになる。
思いを言葉にのせるのは、得意だとしても、とても気を遣う。頭を使う。心を砕く。
選挙のたびにどこかの陣営から呼ばれ、その立候補予定者を自分自身が心から応援したいと思えば協力する。
私は、自分の名前でたたかうその人を尊敬する。
自分自身の世の中への夢や理想を投影させてもらう。だから応援する。
そんな私について、批判的なことを言う人もいる。
自分にとって嫌な人とはつき合わないので、ほとんどそういうものは浴びないけど、数ヶ月前に、久々にとても嫌な思いをした。
私の人生や生き方は私が決める。
私は、世の中が良くなってほしいと本音で思っている。
それも含めて自分の表現活動だ。
なのに、変なマウントでものを言う人、世の中を見ている人は、例えば私の場合は「小説を書くのが最上」という決めつけをしてきたりする。
もしくは、有名になるとか、もっと中央で勝負するとか・・・
そういうの、別に今、欲しくない。
ある程度経験したからこその今。
私は広く浅く届くより、自分の目や手が届く範囲で深く浸透してほしい。
たぶんそれは子どもを持って、自分自身の拠点が人生初定まっての変化だと思う。
未来に責任を持つようになった。責任は広くたくさん持てるものではない。
私は私なりに人生のその都度のステージで、大事なこと、必要だと思うこと(自分にとっても、世の中にとっても)をやりたいだけ。
天然自然に・・・
中島みゆきさんの『ファイト』の歌詞の中の、
<ファイト! たたかう きみのうたを たたかわないやつらが 笑うだろう>
という部分があるけど、それ、自分の人生でずーっと思っている。
小学5年生の時に、ハッキリと先生への反抗を始めた時から・・・
自分はいつも何かとたたかっていて、利用されたり笑われたりもしていると思うけれど、そんなの関係ない。大きなお世話、放っておいて、という感じ。
たたかう苦しみも素晴らしさも、たたかわなければわからないわけで、わからないやつがなんか言うな、って思う。
小説だってそう。匿名の知らない人からバッシングも受けた。
たたかわないやつ(名前すら出せないやつ)がなんか言うな。
政治というのはおもしろい。
だけど、自分は体力がないし、感受性が強くていろいろを受けやすいし、流せないから自分はやらないしやれない(議員に出たら、というのも、ずっと前から言われる)。
改めて、「政(まつりごと)」を調べると、
「政」は、古代において神をまつり、神の意を行うことがそのまま国を治めることであったところからいう。
国家の主権者がその国土や国民を治めること。政治。「国の―を行う」
昔は祭りと政治が一致していたため、政治を「祭り事」といったことから。
など出てくる。
私は政治に関わるようになった頃から「政治家のバックにいる占い師になりたい」とよく口にしてきた。それが理想。
伝えることが得意で、せずにいられなくて、ゆえにかどうかわからないけど、ネタも人も寄ってきて、仲介や調整をせざるを得なくなる。
生まれ育った家から神社も近いし、巫女みたいな役割は自認している。
大げさに言えば天からの声を伝えたいと思っている。
だから、私がやることは一貫しているので、何か言いたい人は放っておいてください(笑)
明日は、時間をつくって、インド映画を観る予定。
今月長男が帰ってきた時に、お母さんに観てほしいと熱心に言ったのだ。
そんなふうにすすめることはなかなかないので、そういう映画は観るようにしている。
ふだんLINEをしても反応ない長男から、一昨日、この映画を観るためのアマゾンのURLが送られてきた。
そこまで言うのなら、近いうちに観た方がいいと思った。
そのタイトルはこちら・・・
選挙も人生も、「きっと、うまくいく」と信じたい。
この映画、たぶん過去にも男女の友達からすすめられたと思う。
ようやくが今ですみません。
私にとっては、今なんだと思います☺