Love the Moment

日原いずみ

浅井よしたかさん 応援弁士 原稿②


豊橋南高校の同窓会を中心とした集会用の原稿です。
 

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撮影:けいちゃん

 

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撮影(10枚):横田くん

 

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撮影:けいちゃん 

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 撮影:河辺さん

 

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みなさま、こんばんは。
私は日原いずみというペンネームでいろいろな活動をしています。

ちょうど明日は豊橋市の子育ての講演があるので、浅井さんに、とは言えませんが、市長選の投票に行こうと、お母さんたちに呼びかけてきます。

今日は持ち時間が限られているので、すみませんが原稿を見て、早口でお話させてもらいます。

 

私の本名、南高校に通っていた頃の旧姓の名前は、藤村昌代です。

現在は〇〇昌代と言います。ふだんは夫のことは話さないようにしているのですが、夫も南高校でした。12回生の〇〇〇〇と言います。私は夫より浅井さんの方と先に知り合いましたが、たまたまその後知り合って結婚した夫が浅井さんにとって柔道部の後輩にあたり、そんなわけで、この20年間、夫婦で浅井さんを応援してきました。

なお、私の妹は20回生の旧姓F・Kです。また、我が家のお隣には偶然、数学のS先生が住んでいます。そんなふうに、南高校のご縁に囲まれて生きてきました。

 

浅井さんの素晴らしいところは、「実行力」と「やさしさ」、「話を聴いてくださるところ」 だと思っています。

それらを表すエピソードを4日の女性集会ではお話しましたが、今日は南高校中心の場なので、私にとって、南高校に行ったことと政治との関係をお話させてもらいます。

高校は関係なく、「だから浅井さんを市長に」とつながる話としてお聞きください。

 

私たちは、当時の高校入試制度の「学校群制度」の最後の学年でした。

知らない方のために説明させてもらうと、当時、豊橋南高校は時習館高校と組を組んでいて、同じ入試を受けて、合格した場合、どちらに振り分けられるかわからない、という、そういう入試でした。

 

私は、15歳の春の合格発表で、掲示板を見に行き、合格と同時に南高校になったことを知った時、自分でもびっくりするくらい号泣しました。涙が止まらなくて、新聞記者に「どうして泣いてるんですか?」と追いかけられたくらいです。

 

振り返るとその時大泣きしてしまったのは、どちらの高校がよかった、ということよりも、システムへの衝撃でした。「本当に、こんな入試があるんだな。生徒の希望や感情や家の場所などは関係なく、機械的に振り分けられるということがあるんだな」「運命がこんな風に決められるということがあるんだな」という驚きだったように思います。

もちろん承知の上での受験でしたが、そんな制度をつくっている大人たちや社会や教育に不条理や疑問を感じました。

 

でも、人生の中でその体験が、私にとっては大きな宝や財産となっています。

世の中のおかしなことに対して問題意識を持つこと、未来のためにも改善できるように行動に移すこと、そんなことを具体的に学び、実際に行動してきました。

 

この話が、政治につながります。

国や県が決めたシステムに従わなければならないというのを、多くの方々が経験したのが、今年のコロナウイルスの問題だと思います。

 

自粛など、難しい判断の連続だったとは思いますが、私たちお母さんたちに降りかかったのは、3月の一斉休校でした。今日の新聞に検証記事が出ていましたが、政府が全国的に一斉休校を要請した時、お母さんたちはとても混乱しました。仕事を、子どもをどうしたらいいんだろう?卒業式はどうなるんだろう?当時我が家にも、高校3年生と中学3年生の息子がいて、ダブルで卒業でした。たくさんのお母さんたちが私に相談してきました。

 

いったん国が休校を決めたのち、そのまま国に従う地方自治体と、まだ感染者数が少ないために、独自の判断で「学校に行きたい人は行ってもいいよ」と受け入れ体制をつくった自治体とありました。例えば千葉市長やつくば市長は独自の声を積極的にネットでも発信していて、その地域の住民たちは信頼や安心を得ることができました。

残念ながら豊橋市は市長の声が聞こえてこなくて、混乱のままでした。

浅井さんと同級生の山西教育長の声はお便りなどを通じて伝わってきましたし、私もお母さんたちの声をお伝えするメールのやり取りをさせてもらっていました。

またその期間のオンライン授業の導入には、県議の浅井さんもがんばってくださいました。

 

今回、集会に誘った、あるお母さんからのメッセージを許可をいただき、ご紹介します。

<お恥ずかしいことに、あの時まで、政治と教育や育児は無縁だと思っていました。

政治なんて市長なんて、誰がやっても同じだと思っていましたが、都道府県市町村によって、対応の速度・内容もまちまちで、違和感を覚えました。

誰がやっても同じじゃない!!!

浅井よしたかさんの、「豊橋新時代の会」のニュースを熟読しながら、思います。

(分かりやすく書かれていて、無知でも理解しやすく、ありがたいです)

浅井さんを、応援しています!>

 

こんなふうに、今回の件で、政治というものに興味を持ったお母さんたちが増えました。

市民の声を聴いてくれる市長、上から目線ではなく、市民に声を届けてくれる市長、多様化する社会においては、双方向の関わり合いが必要だと思います。

 

駆け足でいろいろ話してきました。
私は南高校に行ったおかげでの今があり、この場があります。出逢いやご縁に感謝します。

人生や運命には、さまざまな時があるけれど、紆余曲折を経て、自分の人生を良かったと思えるように、多くのみなさまが、人生や運命を肯定でき、幸せを感じられるような、そんな世の中になってほしいです。

 

南高校の大先輩の、浅井よしたかさんに期待します。応援しています!

みなさんで、浅井さんを市長にし、市民の声が届く、健全で新しい豊橋をつくっていきましょう。 本日はありがとうございました!!