☆☆☆「浅井よしたか」の検索で来てくださった方へ☆☆☆
この記事は元は昨年の県議選で浅井よしたかさんを応援する内容でしたが、2020年11月の豊橋市長選に立候補を表明している浅井さんを、改めて応援する内容をこちら↓で紹介していきます。
【浅井よしたか 応援特設ページ】
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【2019年 4月2日 投稿分】
4月7日は、愛知県議会議員選挙の投票日。
みなさま、浅井よしたかさんをよろしくお願いいたします!!
*画像はfacebookの浅井さんのfacebookページより。
このブログを準備しつつ、何度も読み返している間に浅井さん本人から電話があり(2日のお昼)、たいへん厳しい選挙戦だそうです。
前回選挙はトップ当選でしたが、今回は無所属であることに加え、当確だろうという噂を流され(これは一般的にどの選挙でも起こる、他が勝ちたいための作戦でもあるよ)、選挙、行かなくてもいいや、浅井さんに入れなくてもいいや、というのが恐いので、ぜひ浅井さんに一票をお願いします。
浅井さんと面識がない方でも、私の読者さんで、今後、何かお困りのことができた時は、私が彼におつなぎします。
今日の浅井さんの様子(facebookページより)
以下は用意していた本題です。
浅井さんは、高校と大学のOBにあたり、高校の同窓生も、大学の同窓生も大勢応援しています。みんなが一丸となって、という感じに応援したくなる存在は珍しいです。
12年、3期の実績。
みなさん、浅井さんにお世話になったり、頼れる議員と思っているからだと思います。
浅井さんが初めて県会議員選に挑戦した20年前から投票しているけれど、ハッキリと感謝を感じ、ますます応援しようと思ったできごとを書きます。
地域や社会のおさらい、政治の一端として読んでください。
2011年の東日本大震災と原発事故は、日本の危機とも言える問題で、今も復興途上だし、原発事故は収束しておらず、まだまだたいへんだと思います。
その事故後に、記憶している方も多いと思うけれど、震災瓦礫の広域処理、という提案が政府(民主党政権)からなされ、愛知県も大村知事が当時手を挙げ、私のふるさとの田原市も受け入れ先の候補地となりました。
この問題は一見被災地の支援のようだけど、振り返ってまとめると(簡略化して書きますが、すべて客観的な事実でデータもあります。全国の自治体が苦慮したできごとで、顛末を本にまとめた方もいました)、
①広域処理を必要とするほどの瓦礫の量は実はなかった(東三河の首長たちも視察に出向いたが、被災地で処理が進み、被災地で新しい仕事が発生していた)
②復興財源を欲しがる業者や地方自治体、不透明なお金の流れがあった
③放射性物質が含まれている恐れのあるものは、国際的には拡散すべきではないとされている中、広域に運搬し、処理するというのは、地球環境の面からしてもおかしい
など、とにかくおかしいことがいっぱいでした。
当時の環境大臣であった民主党の細野さんが表に立って進めていたけれど、環境庁の職員の友達も、良心から疑問を感じていた。
私は、放射能の問題について当時一番詳しいくらいに情報を収集していたジャーナリストと古くからの友人だったため、いろいろと情報をもらったり、全国で同じように活動する方々と連携したりする中で、どう考えてもおかしな政策だと思った。
自分自身のふるさとの人々が善意として受け入れ、のちに、農業や漁業の産地、観光地であるのに風評被害に悩まされては気の毒だと感じ、いち早く当時の田原市長にお手紙と資料を届け、直接お電話をいただいて連携したり、渥美半島の要人と思う面々に幅広く声をかけ、意識を高めてもらえるように動きました。
その時の政権は民主党だったため、野党だった自民党の田原市選出の県会議員の山本ひろしくんも、ふるさとを守るため、当時のおかしな民主党の政策には反対の方向でがんばってくれました(田原市の住民からの要望書を県庁に届けてくれて、友達も何人か同行しました)。
私は当時、与党の立場である浅井さんがどのように考えるか、不安を持ちながら相談しました。
(*今回の選挙は、浅井さんは「無所属」での立候補です)
すると、「地域を守るためのことは、与野党関係なく動くから」と力強く言ってくれました。
事実その時の浅井さんは動きにくかったであろうに、第一には地域のため、地域に住む人たちの不安を解消するために尽力してくださいました。
結果的に、様々な理由から大村知事が瓦礫の受け入れを断念し、その表明をすることになったのだけど、その報せを私に最初にくれたのは、ほかならぬ浅井さんでした。
浅井さんからの電話で「瓦礫、来なくなったから」と言われ、私は泣けそうになりながらお礼を言い、ほとんど泣きながら、一緒に活動していた田原市のお母さんたちに伝え、ともに安堵しました。
ということがあって、私は浅井さんにご恩や実行力を感じています。
(大勢の方々が種類は違えど、同様に浅井さんに感謝してきたのだと思います)
あの時の政府(民主党政権)の動きは一部おかしかったというのは、良識ある方々ならみんなわかっていて(というか、政府というのは、おかしいことが多いですね)、当時何度もやり取りをさせていただいた、新城の穂積市長も、名ブログを残しています。
田原市が愛知県から受け入れ先候補と指定されたけれど、田原市だけの判断では荷が重く、「東三河広域連合として考える」と田原市長も明言していて、その広域連合でリーダー的な役割を果たしてくださっていたのが穂積市長でした。
2012年4月のブログ
このブログは当時、上記ジャーナリストの影響力もあり、リツイートやシェアで拡がり、2万人以上の方々が読みました。
このブログからもわかる通り、田原市が一時指名された問題だったけど、東三河全体に関わる問題であり、同時に、中央政権と地方政治の関係性にも影響する重要な局面でした。
私は自分の地域がおかしなことに従って欲しくなかったし、東三河の首長さんたちは毅然としていました。
知らない人は全く知らなかったことでしょうが、私たちは、3.11後、パニック状態となったような政府によって次々と繰り広げられるおかしな政策に、子どもたちのために、未来のために、せめて地域を守らなければ、と活動しました。
日本の食料が一部危険になるのなら、産地を守って、被災地に届けなければ、という思いでいました(私の親戚や友達は当時、田原市の野菜を福島に運んでいました)。
小泉元首相も今では反原発の講演を行っているけれど、現代に生きる私たちの判断が、10万年以上先まで影響を与えてしまうので、放射能の恐ろしさには謙虚に向き合うべきだと思います。
これは、政治や、浅井さんの関わりの中のごくごく一端の話です。
私たちは当時必死だったし、まだまだ日本には(いつの時代でも)、必死にならなければならない問題が山積していると思う。ただ、すべてに関わることはできないので、私はせめてと思って、地元のことで、「これは」ということには声を挙げています。
上記の震災瓦礫の問題は、私にとって生まれて初めての、これは絶対に立ち向かわなくてはならないと思う政治的な問題でした。
これまで大勢の政治家と直接やりとりをしてきて、まったく寄り添ってくれない(申し訳ない言い方だけど、感情ではなく内容を理解してもらえない)政治家も多い中、浅井さんは私が主催したジャーナリストによる放射能の講演会にも来てくださったし、常に勉強する姿勢を持った方です。
大勢の人が集まる場で顔を売るためではなく(現にその講演会には、そっと参加し、そっとお帰りになった)、純粋に本人が勉強しなければと足を運んでいて、その姿勢にも好感を持ちました。
3月20日の総決起大会のブログです。
1月末の早稲田の新年会の時に、選挙を見据えて撮影してもらった分。
愚直で真面目で一生懸命、熱い、嘘のないお方です。
県会議員として、愛知県知事や所属政党と同じ方向を見てものごとを進めるのは難しくないでしょうが、今回書いたできごとのように、背くような、たしなめるような動きは、よほどの手腕がないと難しいと思う。
当時、田原の県議の山本ひろしくん(今回無投票での再選がすでに決定)が語ってくれた政治観というのもたいへん興味深かった。現場にいる政治家でないと実感できない論理や感情があると思う。
政治というのはパワーゲームのような側面もありつつ、かなりデリケートで厄介なもので、真理や真実が必ずしも通るものではないし、人間社会は複雑過ぎて、リーダーが誤った判断をする時もある。
そういう時に、誰の側に立ってものごとを進めるか、強い側ではなく弱い側に寄り添えるやさしさと強さ、頭の良さが必要になる。
先月の総決起大会の時に、浅井さんが、これまでの3期12年の実績の中で、豊橋に2015年にできた「くすのき特別支援学校」の設立にも尽力したこと(県の議会での質問や活動が開校につながったかもしれないという言い方)に少し触れていました。
道路や信号の整備も数知れず、すべて、困っている人のために、という動きだと思います。
緩急様々なエネルギーを用い、豊橋の問題を愛知県に届け、知事や県と連携・協力して、具体的に改善、解決してくださる実行力を持つお方は浅井さんだと思います。
どう考えても厳しい時代に突入していくこれから、県知事や県の職員の方々との信頼関係がすでにある浅井さんに、東三河のため、愛知県、世のために、もっともっと活躍していただきたい。
みなさまの清き一票を、浅井よしたかさんに託してください。
よろしくお願いいたします。