Love the Moment

日原いずみ

離婚に関する講演会

 

4月4日投稿分

 

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今日、中学は入学式&始業式🌸🌸🌸...
次男も中学3年生!(クールに登校し、不機嫌に帰ってきました)

さて、いくちゃんがすでに載せてるけど(一つ前ご覧ください)、昨夜はこのイベントに参加しました。

https://www.facebook.com/events/2048887598536246/?ti=cl

講師の中川彩子ちゃん(夫妻)とは5年くらい前に早稲田の新年会で知り合いました。
企画してくださった長坂なおとくんは、市議会議員になる前(東京大学の学生だった頃)からのおつき合い。
お二人のコメントのやり取りで、このイベントのきっかけができた頃から、絶対に行きたい!と楽しみにしてました😊

デリケートな内容なので、言葉を選びながら、静かに、真面目に、ユーモラスに離婚をめぐるあれこれをわかりやすくお話してくれました。

新しい発見もあれば、ああやっぱり!という納得もあり、専門家(喋りもお上手)は素晴らしい。
彩子ちゃんは知識と経験に加え、美も兼ね備えていて、いつも見惚れてしまいます(笑)
彼女を見ていると「品格」とか「noble」という言葉を思い出す
サブカル好きのチャーミングな側面も持ち、3人のお子さんのお母さんでもあります!

私自身、離婚を考えたことは何度もあるし、心からの友達には男女とも離婚経験者が多い。かつて離婚した友達が再婚したりも出てきた。
昨日のモデレーターを務めた大宮さん(私の周りでも大勢の方がシェアしていたサンヨネの記事などを書いた蒲郡在住のライターさん)も触れていたけど、結婚という制度そのものの見直しも必要だと思うし、私が好きな考えを持つクリエイターたちはみんなそう話す。

豊橋だいすきカレッジ参加は2度目ですが、なおとくんの願いとしての「(講演で得たことを)この場だけで終わらせずに、何かの行動に移してください」という言葉に共感します。
私も自分が講演をする側でもあるので、聴いてくださった方の人生が具体的に好転して欲しいし、周りにもいい影響を与えて欲しい。
昨夜なおとくんが言った「行動する人を増やすことが、まちの元気につながる」にもうなずきました。

私が参加ボタンを押したのがタイムラインに上がり、「まーちゃんが行くなら私も!」の友達複数(笑)、会場にも別の知り合い複数(地域の要職に就いてるような女性たちも)、タイムラインを見て「私、中川先生に離婚の相談したことあります」とメッセージくださった方も😉

頼りになる弁護士さんが地域にいてくれること(私も何かあったら彩子先生にお世話になる予定)、存在だけですでに心の拠りどころで、ありがたいです!!

あ、手作りケーキを持ってきてくれたお友達、ありがとう💕

彩子ちゃん、大宮さん、なおとくん、みなさま、ありがとうございました😊

祝・東邦優勝 平成元年の振り返り

 

【4月3日 投稿分】

 

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東邦優勝にちなんで、30年前のマニアックな写真をひっそり!?(笑)

自分が中高生だった頃、高校野球に狂っていて、平成元年の春のセンバツの東邦のサヨナラ勝ちに号泣し、その夏の甲子園の大会初日に、(春の決勝で戦った)東邦も上宮もそれぞれ出たので、友達と甲子園まで観に行きました(夏休みの出校日の前日で、英語のテストがあったから、行き帰りの新幹線で英語の構文を読んでいた記憶)。こっそりやっていたバイト代で!

写真は、優勝した3年生が引退後に、豊橋の球場に東邦の試合で来たので、また観に行った時の写真(いったいどうやって情報を仕入れたのかw)。...
詳しい人ならわかるけど、大きく写ってるのが東邦のキャプテンだった山中くんで、メガホン持ってるのがピッチャーの山田喜久夫くん。

誰かのファンというわけではなかったけど、漠然と高校野球のスターをすごいと思っていた(笑)
上宮の元木とか、鹿児島実業の内之倉とか。
ファンと言えば、「熱闘甲子園」の時に流れるコカ・コーラのCMの加勢大周が好きでポスターを集めていた(そのCM限定)。

今振り返って写真を見ると、豊橋での山中くんや山田くんの記憶はないけど、試合後に坂口監督が部員たちに話していた時の声(教祖みたいだった)は覚えている。

と書きつつ、今日の試合は観てないです(笑)
長男が、かつてのスターたちと同じ年になったんだなあ〜

 

 

 

 

 

 

 

 

浅井よしたかさん


☆☆☆「浅井よしたか」の検索で来てくださった方へ☆☆☆

この記事は元は昨年の県議選で浅井よしたかさんを応援する内容でしたが、2020年11月の豊橋市長選に立候補を表明している浅井さんを、改めて応援する内容をこちら↓で紹介していきます。

 

【浅井よしたか 応援特設ページ】

 

hihararara.hatenablog.com

 

 


**************
 
【2019年 4月2日 投稿分】

4月7日は、愛知県議会議員選挙の投票日。

みなさま、浅井よしたかさんをよろしくお願いいたします!!

*画像はfacebookの浅井さんのfacebookページより。

 

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www.asaidon.com

 

このブログを準備しつつ、何度も読み返している間に浅井さん本人から電話があり(2日のお昼)、たいへん厳しい選挙戦だそうです。

前回選挙はトップ当選でしたが、今回は無所属であることに加え、当確だろうという噂を流され(これは一般的にどの選挙でも起こる、他が勝ちたいための作戦でもあるよ)、選挙、行かなくてもいいや、浅井さんに入れなくてもいいや、というのが恐いので、ぜひ浅井さんに一票をお願いします。

浅井さんと面識がない方でも、私の読者さんで、今後、何かお困りのことができた時は、私が彼におつなぎします。

 

今日の浅井さんの様子(facebookページより)

 

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以下は用意していた本題です。

 

浅井さんは、高校と大学のOBにあたり、高校の同窓生も、大学の同窓生も大勢応援しています。みんなが一丸となって、という感じに応援したくなる存在は珍しいです。

12年、3期の実績。

みなさん、浅井さんにお世話になったり、頼れる議員と思っているからだと思います。

 

浅井さんが初めて県会議員選に挑戦した20年前から投票しているけれど、ハッキリと感謝を感じ、ますます応援しようと思ったできごとを書きます。

地域や社会のおさらい、政治の一端として読んでください。

 

2011年の東日本大震災原発事故は、日本の危機とも言える問題で、今も復興途上だし、原発事故は収束しておらず、まだまだたいへんだと思います。

 

その事故後に、記憶している方も多いと思うけれど、震災瓦礫の広域処理、という提案が政府(民主党政権)からなされ、愛知県も大村知事が当時手を挙げ、私のふるさとの田原市も受け入れ先の候補地となりました。

 

この問題は一見被災地の支援のようだけど、振り返ってまとめると(簡略化して書きますが、すべて客観的な事実でデータもあります。全国の自治体が苦慮したできごとで、顛末を本にまとめた方もいました)、

①広域処理を必要とするほどの瓦礫の量は実はなかった(東三河の首長たちも視察に出向いたが、被災地で処理が進み、被災地で新しい仕事が発生していた) 

②復興財源を欲しがる業者や地方自治体、不透明なお金の流れがあった 

放射性物質が含まれている恐れのあるものは、国際的には拡散すべきではないとされている中、広域に運搬し、処理するというのは、地球環境の面からしてもおかしい

など、とにかくおかしいことがいっぱいでした。

当時の環境大臣であった民主党の細野さんが表に立って進めていたけれど、環境庁の職員の友達も、良心から疑問を感じていた。

私は、放射能の問題について当時一番詳しいくらいに情報を収集していたジャーナリストと古くからの友人だったため、いろいろと情報をもらったり、全国で同じように活動する方々と連携したりする中で、どう考えてもおかしな政策だと思った。

自分自身のふるさとの人々が善意として受け入れ、のちに、農業や漁業の産地、観光地であるのに風評被害に悩まされては気の毒だと感じ、いち早く当時の田原市長にお手紙と資料を届け、直接お電話をいただいて連携したり、渥美半島の要人と思う面々に幅広く声をかけ、意識を高めてもらえるように動きました。

 

その時の政権は民主党だったため、野党だった自民党田原市選出の県会議員の山本ひろしくんも、ふるさとを守るため、当時のおかしな民主党の政策には反対の方向でがんばってくれました(田原市の住民からの要望書を県庁に届けてくれて、友達も何人か同行しました)。

 

私は当時、与党の立場である浅井さんがどのように考えるか、不安を持ちながら相談しました。

(*今回の選挙は、浅井さんは「無所属」での立候補です)

 

すると、「地域を守るためのことは、与野党関係なく動くから」と力強く言ってくれました。

事実その時の浅井さんは動きにくかったであろうに、第一には地域のため、地域に住む人たちの不安を解消するために尽力してくださいました。

 

結果的に、様々な理由から大村知事が瓦礫の受け入れを断念し、その表明をすることになったのだけど、その報せを私に最初にくれたのは、ほかならぬ浅井さんでした。

浅井さんからの電話で「瓦礫、来なくなったから」と言われ、私は泣けそうになりながらお礼を言い、ほとんど泣きながら、一緒に活動していた田原市のお母さんたちに伝え、ともに安堵しました。

 

ということがあって、私は浅井さんにご恩や実行力を感じています。
(大勢の方々が種類は違えど、同様に浅井さんに感謝してきたのだと思います)

 

あの時の政府(民主党政権)の動きは一部おかしかったというのは、良識ある方々ならみんなわかっていて(というか、政府というのは、おかしいことが多いですね)、当時何度もやり取りをさせていただいた、新城の穂積市長も、名ブログを残しています。
田原市が愛知県から受け入れ先候補と指定されたけれど、田原市だけの判断では荷が重く、「東三河広域連合として考える」と田原市長も明言していて、その広域連合でリーダー的な役割を果たしてくださっていたのが穂積市長でした。

 

2012年4月のブログ

tomako.dosugoi.net

 

このブログは当時、上記ジャーナリストの影響力もあり、リツイートやシェアで拡がり、2万人以上の方々が読みました。

このブログからもわかる通り、田原市が一時指名された問題だったけど、東三河全体に関わる問題であり、同時に、中央政権と地方政治の関係性にも影響する重要な局面でした。

私は自分の地域がおかしなことに従って欲しくなかったし、東三河の首長さんたちは毅然としていました。

 

知らない人は全く知らなかったことでしょうが、私たちは、3.11後、パニック状態となったような政府によって次々と繰り広げられるおかしな政策に、子どもたちのために、未来のために、せめて地域を守らなければ、と活動しました。

日本の食料が一部危険になるのなら、産地を守って、被災地に届けなければ、という思いでいました(私の親戚や友達は当時、田原市の野菜を福島に運んでいました)。

小泉元首相も今では反原発の講演を行っているけれど、現代に生きる私たちの判断が、10万年以上先まで影響を与えてしまうので、放射能の恐ろしさには謙虚に向き合うべきだと思います。

これは、政治や、浅井さんの関わりの中のごくごく一端の話です。

私たちは当時必死だったし、まだまだ日本には(いつの時代でも)、必死にならなければならない問題が山積していると思う。ただ、すべてに関わることはできないので、私はせめてと思って、地元のことで、「これは」ということには声を挙げています。

上記の震災瓦礫の問題は、私にとって生まれて初めての、これは絶対に立ち向かわなくてはならないと思う政治的な問題でした。

これまで大勢の政治家と直接やりとりをしてきて、まったく寄り添ってくれない(申し訳ない言い方だけど、感情ではなく内容を理解してもらえない)政治家も多い中、浅井さんは私が主催したジャーナリストによる放射能の講演会にも来てくださったし、常に勉強する姿勢を持った方です。

大勢の人が集まる場で顔を売るためではなく(現にその講演会には、そっと参加し、そっとお帰りになった)、純粋に本人が勉強しなければと足を運んでいて、その姿勢にも好感を持ちました。

 

3月20日の総決起大会のブログです。

 

hihararara.hatenablog.com

 

1月末の早稲田の新年会の時に、選挙を見据えて撮影してもらった分。

 

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愚直で真面目で一生懸命、熱い、嘘のないお方です。

 

県会議員として、愛知県知事や所属政党と同じ方向を見てものごとを進めるのは難しくないでしょうが、今回書いたできごとのように、背くような、たしなめるような動きは、よほどの手腕がないと難しいと思う。

当時、田原の県議の山本ひろしくん(今回無投票での再選がすでに決定)が語ってくれた政治観というのもたいへん興味深かった。現場にいる政治家でないと実感できない論理や感情があると思う。

政治というのはパワーゲームのような側面もありつつ、かなりデリケートで厄介なもので、真理や真実が必ずしも通るものではないし、人間社会は複雑過ぎて、リーダーが誤った判断をする時もある。

そういう時に、誰の側に立ってものごとを進めるか、強い側ではなく弱い側に寄り添えるやさしさと強さ、頭の良さが必要になる。

 

先月の総決起大会の時に、浅井さんが、これまでの3期12年の実績の中で、豊橋に2015年にできた「くすのき特別支援学校」の設立にも尽力したこと(県の議会での質問や活動が開校につながったかもしれないという言い方)に少し触れていました。

道路や信号の整備も数知れず、すべて、困っている人のために、という動きだと思います。

緩急様々なエネルギーを用い、豊橋の問題を愛知県に届け、知事や県と連携・協力して、具体的に改善、解決してくださる実行力を持つお方は浅井さんだと思います。

どう考えても厳しい時代に突入していくこれから、県知事や県の職員の方々との信頼関係がすでにある浅井さんに、東三河のため、愛知県、世のために、もっともっと活躍していただきたい。

 

みなさまの清き一票を、浅井よしたかさんに託してください。
よろしくお願いいたします。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

寒い4月2日の思い出

 

 

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おはようございます。
令和に乗れてない私です(笑)
気にしないで!!

 

寒い4月2日、ふと、28年前!!!(計算機使った。2019ー1991)の大学の学部入学式を思い出した。

私は温かい渥美半島から上京し、春と思ってコート類を持たずに引っ越したので、最初の頃、東京の春が寒くて寒くて仕方なかった(実際に風邪を引いた)。

4月にダウンというのは気分的にあり得なかったけど、学部入学式で隣り合わせた、当時の言葉で言うならイケイケねーちゃん風のAちゃん(クラス違う)は、白いダウンにミニスカートだった。

4月1日には記念会堂で一万人近いような全体の入学式があり、2日は大隈講堂で。

当時のクラス写真を載せます。
嫌な人もいるだろうし私も嫌なので(笑)、サイズは小さくしました。
クラスメイトの雰囲気だけでも!
私は東京に出て買いに出かけた(どこに行けばいいのかわからず、とりあえず渋谷に行き、入った丸井ヤング館)、ジャストビギのキュロットスーツ🍀 
オンザ眉毛のソバージュでした。パーマは内緒で高校時代から(笑)

バブルは弾け、DCブランド名残りの平成3年。
天皇崩御は高1の1月で、90年代のスタートとともに東京(在学時期は91年4月から95年3月)でした。

思えば平成は短かったな。
自分の高校時代に始まり、我が子が高校生の時に終わります。
生物で言うなら繁殖期の始まりから、繁殖期の終わりか(笑)

N組の名簿も懐かしいでしょ!!😉

 

 

 

 

 

 

 

 

 

吉田園さん

 

(4月1日 午後投稿分)

 

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吉田園の吉田くんが、フードオアシスあつみ山田店で、お野菜の試食販売中。
予定では1時くらいまでかな。

私は次男の美容院の合間に伺い、はじめまして!!
吉田園のネギには先に会ってました(笑)

知り合い多数、アークリッシュでも吉田園のお野菜が使われていたり、遠方の名店やら、日本橋三越でも販売されてる、無農薬&土づくりにこだわったお野菜です。

栄養価の高いスプラウトにんにく(根や芽もいただく)やほうれん草、春菊、私も買いました。

途中、お客様によって、「新元号、令和だって!!」と知りました(知ってしまいました)。

今日、その瞬間をどう迎えようかと思っていたけど、息子らはクールで各々の予定のが大事、私は結果的に知らないおばちゃんから知らされ、吉田くんや他のおばちゃんたちと盛り上がった。

これもまたよし!!!\(^o^)/

吉田くんと写真撮りたかったけど、忙しいからそっと(笑)

アツミのお客様、食への意識高いし、しばしお手伝いして、コツもつかんだぞ(笑)

 

 

 

 

 

 

 

 

エイプリルフール

 

4月1日投稿分

 

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朝からエイプリルフールにちなんだネタがちょこちょこあって微笑ましい💛

元号の発表も地味に楽しみ。

エイプリルフールと言えば、今は亡きおじいちゃんと、小学生の頃は騙し合い合戦をしていた(笑)

黒電話のベルを鳴らして(114だったかをダイヤルするとベルが鳴る)、「おじいちゃん、電話だよ!」と出させたり、おじいちゃんは玄関で声色を変えて(すぐわかる)「ごめんください」と言い続けたり、「まちゃよ(昌代)、○○ちゃんが来たぞ!」と外から私に呼びかけたり(笑)

私が一番張り切って仕込んだのは、何かでアイデアを知り、一年前の4月1日の新聞を保管しておいて、朝、「新聞だよ」とおじいちゃんに渡したこと。

おじいちゃんはしばらく読んで、何か変だと気づき、私を見ると、私がニヤニヤを押さえきれずにいて、「おっ、こりゃ去年の新聞だな! やられたなあ」みたいな😁

おじいちゃんは怠け者のバカ殿様で、両親は苦労したけど(渥美の本家に子どもがなくて、父が成人後に養子入りしたので本当の親子ではなかった)、私は大好きだった。
歴代の友達にじいちゃんネタを話してきた。
私の「変」には、じいちゃんの「変」が36%くらい入ってる(笑)

エイプリルフールの朝になると、毎年おじいちゃんを思い出す。

 

 

 

 

 

「日本の政治家 どうして女性が少ないの?」

 

 

 

 

昨夜は、このイベントに参加しました。
*お写真は、関係者の撮影分です。

大事なことなので、長いけど読んでください!!

 

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大阪からお越しくださった講師の森屋先生

 

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森屋先生は、日本に女性議員が少ないことを危惧し、女性議員を増やすための活動を多岐にわたって行っている方。

これまでに開講してきた13回のスクールを通し、100名を超える女性議員が誕生しているそう。

 

森屋さんは冒頭、かつて見学に出かけたある地方議会で「女性ゼロ議会」を目にした時の衝撃を語ってくださった。

質問する側もこたえる側も男、傍聴席もほとんど男。女の声が入らないような場で大事な決定がなされている現実。

全国に1788地方議会がある中で、女性ゼロは339議会(18.9%)、女性おひとりさま議会は460議会(25.7%)、女性議員が一人以下という議会が、なんと45%とのこと!!(2月22日の朝日新聞より)

これは私も衝撃でした。

 

日本は男女平等度がとにかく低く、149ヶ国中110位、政治に関しては125位だそう。

多角的な分析のもと、日本の女性が政治に出にくい理由がいくつか挙げられ、森屋先生の講演の結びは、「とにかく、立候補者が増えること」 「選挙こそ、好機」ということで、全くその通りと思いました。

 

引き続いて、愛知大学教授でイベントのコーディネーターを務めてくださった樫村愛子先生と、4月の市議会議員選挙に立候補予定の古池ももさんとの対談。

 

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樫村先生は様々な要職についていらっしゃり、「豊橋に女性議員を増やす会」の会長でもあります。樫村先生とは共通の知り合いも複数で、facebookでは7年前くらいからつながっていたけれど、お会いするのは初めてでした。

イベントの前にご挨拶に伺ったら私のことを存在としては知っていてくださり、お話できて感激でした。知的でたおやかで凛とした素敵な女性。

樫村先生の温かいリードで対談は進み、ももちゃんがなぜ立候補しようと思ったか、活動を始めて今までに感じたことなど、もちろん真面目な内容なのだけど、樫村先生の懐の深さと、ももちゃんのキャラクターのおかげでコミカルでわかりやすく、政治へのなぜ?がとてもすんなりと「そうだよね」という感じに伝わってきました。

こういうふつうの感覚ってすごく大事。

樫村先生も最初に「ももさんはふつう過ぎるくらいふつうですよね」と言っていたけど(森屋先生主宰のスクールに政治家を目指してやってくる女性たちはふつうの人(〇〇大臣の娘とかそういう類ではなく)が多いです、という話を受けて)、本当にそう思うし、それがももちゃんの魅力で、その「ふつう」の感覚が今の政治に欠けているように思う。

 

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いつ会っても健やかさを感じるお方・・・(^^) 

 

対談の中で出た、広報豊橋4月号の、選挙に関するページへの指摘がとても興味深かった。

 

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この中で、選挙がわからない役目をするのは、女性(女子高生)、教える役目は男性。

それを当たり前としてしまう、この漫画に違和感を持たない感性(公共のものとしての配布)が実はおかしいということ。

既視感が強すぎて流してしまうようなページだけど、つまり、日本の社会や日本の女性たちが超えていかなければならないのは、こんなにも身近なことにあるのだと思う。

男が上で女が下という概念が巷にあふれ過ぎていて、例えば政治や経済が男のもの、みたいになっているとしたら、変えていかなくてはならない。
(私はカテゴライズするとすれば、男女関係ない、むしろ女であることを含めた個性が自分の売りとなるような文化の土壌にいるため、のびのび表現や活動しつつ、その原点(創作や思いの発露)にはジェンダーの問題も大きいことを改めて思い出していた)

 

森屋さんのお話の中に、世界での、議員の数を男女平等にするためのクオータ(割り当て)制や、パリテ(性別均衡)の話があり、フランスでは法整備までされているそう。

日本も、昨年5月に「政治分野における男女共同参画推進法」が成立したそうだけど、罰則もないので、どこまで浸透するかは不明。

 

私は、少子高齢化も含め、これらの問題はすべてつながっていると強く感じた。

 

出生率を回復させたというフランスに関して、2005年に「パリの女は産んでいる」という本が話題になったけど、私もたまたまフランスに長く住んでいた男性と20代(今から20年前)に話をした時、フランス女性の当時の意識を聞いていたので(日本女性からするとずいぶん進歩的に感じた)、重要なのは女が社会に向けてしっかり発言&行動するかどうかだと思っていた。

森屋先生が、世界が女性議員の割合を増やしていく中で、日本がそこまででもないのは、日本に「努力」が足りないから、と広い意味での「努力」という言葉で表現していたけれど、全く同感。

私はおかしいなと思うと、相手が男でも女でも年齢も関係なく、すべき主張はずっとしながら来たけど(小学校5年生での先生への大きな反抗に始まり・・・中学時代は先生や学校とのたたかいが当たり前だった)、周りを見渡すと、女性は愚痴や井戸端会議で終えてしまい、怒りの対象者に直接ものを言わない(言えない)人も多い。

それが同性として情けなく思うことも多々。

自分が傷ついたとしても、ささやかなたたかいを重ねていかなければ、男や社会は変わっていかないと思う。

「そういうものだから仕方がない」「言っても変わらない」と最初から受け入れたり諦めてしまうのではなく、せめて発言しなければ、と子どもを持って、未来のためにも一層思う。

すべてつながっていて、つまりは、社会システムの変革と同時に、女性の意識の向上や改革が不可欠なのだと実感した。

 

対談のあと、閉会に向けてのまとめ的に私がお話させてもらいました。

その場で感じたことを話すつもりで事前の準備はせず、ライヴ感を大事にしようと思っていたけど、結局は話したいことがいっぱいできてしまい、メモをした分、メモにとらわれ、うまく話せませんでした。
facebookに写真が出たけど、自分では気に入らない顔なのでこちらには転載せず(笑)

 

お伝えしたかったことはザックリ5点。

 

☆森屋さんのお話から受けた衝撃と「選挙こそ、好機」への共感

 

☆ももちゃんの事務所開きの時に思ったこと・・・ヒラリー・クリントンは「ガラスの天井」という表現をよく用いたけど、日本女性は圧力鍋に閉じ込められて、重い蓋をかぶせられているようだ、背負わされているものが重い(家事、育児、介護はまだまだ女の仕事とされ、その上で、産め!働け!みたいな風潮)、ということ。

 

☆私が政治に具体的な関心を持ったのは、2011年の東日本大震災原発事故。

当時、福島から母子避難してきたお母さんたちとともに、豊橋でできることを考え、「学校給食を放射能汚染食材から守るための要望書」を市長、教育長宛にお持ちした(結果は、放射能測定機の導入や継続的な計測につながった)。その時にお話した議長さんからは「豊橋放射能なんて飛んできてない」と言われたけれど、実際に土壌調査をすると、我が家の庭からもセシウムが検出され、確かに飛んで来ていた。

食べ物や空気への不安、第一に命を守りたい女と男の意識の違い・・・
(子育ての不安を身近なものとして感じる議員と、そうではない議員の違い)

 

☆日本の言葉は、「嫁」「家内」「奥さん」など、女を奥へ奥へ追いやろうとしてきた歴史や風潮を感じる。産後の出血は「悪露(おろ)」と言い、つわりは「悪阻」と書く。月経を不浄のものとされたり、命を懸けての出産や命を巡る言葉にまで「悪」がついていて、悲しさを感じたこと。

 

☆20年前に旅をして語ったフランスやドイツの女性たちは、シングルマザーもイキイキと働き子どもを育てていた。3週間泊めてもらったゲイのフランス人の友達もふつうに仕事し、ふつうに受けとめられていた。国として守るものがまずは命であり、多様な性や生、きっとそれらも、女性や当事者たちからの発言があったからこその社会だったと思う。

★長くなって言えなかったけれど、大学時代に有名な政治学の先生がスウェーデン少子高齢化対策のことを教えてくれて(本も読んだ)、その時にも確か女性議員の数の多さが背景にあった。25年前に学び、25年前にはとっくに問題とされていたのに、日本はなかなか変わらない・・・

 

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 私の後にお話した衆議院議員関健一郎くん。 

 

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 彼は自分の選挙の時に、ほとんどのイベントは子連れでOKだったし、彼自身もお子さんを連れてきていて、とても好感を持ちました(現在は4児の父)。

子どもを自分の印象アップに使う男性議員もいるけど、関くんの場合は、ふだんから本当に育児をしているな、と感じられたので・・・(笑)

 

それに、関くん自身がふつうの感覚を持っていて、今、国会でがんばっているし、ふつうの女性や母親たちへの共感も強くてありがたい。

 


観客席には、夏の参議院議員選挙に立候補予定の立憲民主党の田島まいこさんもいらしていました。

元国連職員のハキハキした美人さん(この手の話の流れだと、美人とか書くのも問題視する人もいそうだけど、私の持った自由な印象)。

*念のため、ももちゃんは無所属で、関くんや田島さん所属の政党と連携しているわけではないです。

田島さんのインタビュー記事でも、やはり女性議員の少なさを危惧する弁がありました。海外から見た日本は、女性が活躍できない社会と思われてしまっている、という内容もあり、本当になんとかしなくちゃならない時だと思う。
 

*********

 

イベント終了後、私の「嫁」「家内」等の発言をきっかけに、夫婦に関する呼称の問題を、同じような温度で私に話してくれた男性がいました。

もともとお互いの存在はfacebookを通して知っていたので、この記事を送ります、と伝えた2年前のもの・・・

 

川上未映子 「主人」という言葉が心底嫌い】

 

dual.nikkei.co.jp

 

当時話題になり、その後炎上やらしたらしいけど、今読み返しても、いい内容だと思う。

私もずっと、例えば結婚で名字が変わることも含めて、主人という言葉を迷いなく使う人や、嫁や家内と言われて平気な人(言う方も言われる方も)などに違和感を覚えていたので(神経質とは違って、思考や感性)、日本女性が当たり前に受け入れてきたことや美徳を、この辺で改める必要を感じます。

社会や言葉はなかなか変わらないけど、男性でも女性でも、自分の側の意識は変えられるので・・・

 

樫村先生を通して、イベントの前に名刺交換をした名古屋からの女性が、私の『チョコレート色のほおずき』を読んでくださっていてうれしかったです。
ジェンダーの研究などをされている方でしたが、私が23歳の時に書いた処女作のそれもまさに、(自分の言葉にまだうまくできないけれど、ザックリとした)ジェンダーについての意識が根底にあった。

20年以上前に書いたけれど、「生理」のことをしっかりと書いた。

タブーとは思わなかったし、書かなくちゃと思った。

 

今息子二人を育てていると、生理がないことは、こんなにも気楽なのかとア然とする。

同時に、男女には違いがあって当然ということも感じる。

だからこそ、男性の多い現場で女性の声が本来必要な場には女性を送り出さなくては、と思う。 

私がささやかながら書き続けていること、発信し続けていることも、草の根で、人々の意識を少しでも変えたいから。

子育てもそうで、たまたま男の子を授かったので、社会がまだ男優位なら、女の気持ち(男女関係なく人として命として大事なこと)がわかる男になるようにって思いながら育ててきたし、これからもそのように働きかけたいと思っています。