何年後かに振り返る時の記録として、いろいろ詰め込んであります。
今は恥ずかしいけど、この先のいつか、野球部の子たちにも読んでもらいたいな!
7月9日火曜日(ふだん西暦を好むけど、タイトルには敢えての令和元年)、長男の高校野球部の愛知県予選2回戦の応援に行ってきました。
豊田球場。
愛知県民だけど初めて行った豊田。
名鉄の知立駅で乗り換え、終点の猿投駅で降り、駅員さんに聞いてバスに乗り、隣り合わせたおばあちゃんとその娘さんとお話ししながらの旅気分。
バス停を降り、広い運動公園内にある野球場に着くと、すれ違う知らない学校の野球部男子くんたちが当然のように私にまで挨拶をしてくれた。
チケット売り場には他校(おそらく当番校)の女子高生、受付にも他校の野球部男子が複数、みんな素敵な笑顔と挨拶。その時点でかなり清々しい気分になっていた。
チケット。記念に撮影と掲載。
一塁側のスタンドに入り、知り合い(長男が小学校時代に一緒にソフトボールをしていた野球部2年生のお母さん)を探してキョロキョロしていたら、野球部の保護者たちの一角(みんなそろいのTシャツなのでわかる)から3年生のお母さんが来てくれて、知り合いを探してくれたり、さらには、応援グッズを配っているところに案内された。
これにはびっくり!!
最近はどこの学校もそうらしいけど、年ごとにオリジナルのタオルやうちわをつくり、熱中症対策として麦茶(しかも凍らせてある)や氷まで配布・・・
タオルを渡してくれた時はその方に向けて「お金は?」と聞いてしまいました(笑)
無料でもらえちゃったよ。手厚さに感激と恐縮・・・。
高校野球が元々好きで、高校時代に野球の応援のおもしろさに目覚め(母校の応援団が立派でとても盛り上がった)、高校生のうちにと友達と甲子園にも行ったり、やはり母校こそを応援したいという気持ちもあって早稲田大学に進学し、大学ではアナウンス研究会の関係もあって(また、同じ自己推薦入試で入った野球部男子が1年生からエースとして大活躍(のちに巨人ドラフト2位)だったこともあって)、実況の練習とウグイス嬢で、毎週のように神宮球場に通っていた。
なので、大げさではなく大学時代だけで100試合以上は観ている。
久々の高校野球。プロではない場内アナウンスの声や(選手交替など実はけっこうたいへんだし、スコアを付けながらアナウンスをしていた)応援席、人間模様、すべてが懐かしいし、新鮮だった。
雨で延期となっての平日開催なので応援が少なかったらしいけれど、私からすると(子どもの部活は柔道とバスケ)、野球の世界はご立派だった。
野球の応援や保護者の連携というのは、どの部活よりもガッチリでき上がっている。
その輪の中にいる人にはわからないだろうけれど、システム化がすごい。
例えば、応援団や吹奏楽部がいたらもっと整うけど、マネージャーが攻撃の際に観客席に打者の名前のボードを見せる。
みなさんに打者の名前がわかるように・・・
そんな、選手の応援や関係者への気配りだけではなく、観客への説明やケアを当たり前に行うのは野球くらいじゃないかな。
素晴らしいし、たいへんである(笑)
つまり、伝統的に応援が最も多い競技だろうし(攻守の切り替えがハッキリしているため、「応援」というジャンルが高めやすいし、高まっていく(音楽や演目や演舞)結果となったんだと思う)、試合を観ていると、確かに応援の音や声による相手へのプレッシャーや自分たちへの盛り上げがあり、明らかに試合にも関わる(いいか悪いかは別として)と思った。
いずれにしても、入り口付近からの野球少年たちの礼儀正しさや保護者たちのきびきびした動きを見て、「日本という国の発展は、野球関係者たちが支えてきたのでは?」と思うほどだった。まじで(笑)
こちらは試合前に発表されたスタメン。
場内アナウンスで一人一人のお名前を発表していく(それに伴い観客席から拍手が起こる)快感は私も知っている(笑) 早慶戦とか、観客数が万だからね(笑)
このスタメン画像を実はLINEで長男に送ったのでした。
長男の仲良しくん、我が家にも遊びに来たような子たちが5人ほど。
私は、梅雨の天候や自分の予定をかいくぐって、試合観戦が実現できたこと(その場にいられること)だけで、まずは感激していた。
さあ、試合開始です!
豊橋商業の先発ピッチャーは、伊藤瑛仁(えいと)くん。サウスポー。
スクールカラーを今さら知ったけど(笑)、早稲田と同じエンジで、ユニフォームも配布されたうちわも似ていてうれしかった。
試合は相手に先制されました。
対戦相手の日本福祉大学付属高校は、10年ほど前は弱かったらしく、10年ほど前に息子さんが高校野球をがんばっていた人から「勝てるんじゃない?」と聞いていたので、私はその印象のまま「思ったより強いじゃん!」みたいに見ていたら、実は最近は大阪から選手を獲得するくらいに強化しているらしく、それは帰りに知ったことだけど、格上の相手に対し、豊橋商業は善戦していたらしい。
2対0とリードされた格上の相手に対し、5回の裏に逆転!!!
豊商は途中で、先発ピッチャーの伊藤瑛仁くんからエースの伊藤佑真くんに交替し(ファーストだったゆうまくんがピッチャー、ピッチャーだったえいとくんがファースト)、その二人は打順もえいとくんが3番、ゆうまくんが4番なんだけど、えいとくんがまず1点返し、その後でゆうまくんが2点追加(逆転)のタイムリーヒット!!
その時はすごく盛り上がった。
ゆうまくんのバットの快音と、センター方向へのヒットは脳内にリプレイできる。
しかしその後はまた逆転され、苦しい試合でした。
ヒットの数は変わらないのに、好機が活かせなかったりエラーがあったり・・・
それでも諦めずに最後までがんばりました。
3年生にとっては最後の試合となるため、4番手のピッチャーとして、3年生の神谷くんもマウンドに上がり、神谷くんは次男と同じ武道館での少年柔道に属していたり、高1で長男と同じクラスだったのでなじみがあり、負けてはいたけれど、投げる姿を見られてうれしかった。
最後は代打も送り込んだけど、試合終了。
結果・・・
今見ても、ヒットの数では上回っていたんだよなあ~~
電車で帰る気でいたけれど、知り合いが車に乗せてくれることになり(行きは何年ぶりかの再会だったので遠慮した)、帰りを待つ間、3年生とその保護者たちとのセレモニー的なやりとりを遠くから見させてもらった。
土日の試合ならここにもっと大勢の保護者や生徒たちも加わるので、かわいそうでもあったけど、それでも、冒頭で書いた通り、野球を取り巻くあれこれは、しっかりしていてすごかったです。
みんなで記念撮影などいろいろ涙と笑顔で過ごした後(遠目での印象)、輪の外にいた私のところに、先週我が家に来てくれて、私のメッセージを読んでもらったピッチャーの伊藤ゆうまくんとキャッチャーでキャプテンの北添くん(二人はバッテリー)がわざわざ挨拶に来てくれた。
自分の方に二人が向かってくるので驚いた。え?私?みたいな(笑)
日に焼けた二人の顔、笑顔だけど泣いた後のような、私も二人に「泣けちゃったね。でも、いい夢見させてくれた逆転の場面もあったね。二人は大活躍だったね」と伝え、お互いにまた涙が込み上げた。
そのシーンは今思い出しても泣けてくる。
素直で清らかな二人が来てくれて本当にうれしかった(みんなそうです)。
「また遊びに行かせてください」と言ってくれたので「いつでもどうぞ!」と。
その後、野球部がバスに乗り込むために移動する時に、ゆうまくんがショートの増山くん(入試の時からの長男の友達で1年生の時は同じクラス)に私を知らせてくれて、増山くんとも初めて話せました。
試合の振り返りとして、長男に随時送っていたLINE・・・
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翌日の中日新聞より。
試合の翌日の夜、長男が部屋に私を呼んで、友達のインスタグラムを見せてくれた。
そこには野球部の子たちのいろいろな投稿が・・・
最後の試合、3年生の中で唯一Mくんだけが出場できなかった。それが気の毒だったと長男に伝えてあったんだけど、
試合当日のうちに、野球部のみんなでバッティングセンターに行ったようで、一つの動画では、Mくんが打席に入り、ネットの後ろでメンバーやマネージャーたちがMくんの応援歌を歌ったり掛け声で盛り上げたりする様子が映っていた。
みんなでMくんのための特別な打席をつくっていたのだ。
それを見て、彼らの友情に涙が出た。
別のメンバーはMくんの画像に、
「今夏、一度も打ち取られなかった男」
というキャプションを付けてUP。
文字に込められた思いやり・・・(試合に出られなかった、ではなく、無敵だった男的な)
そのほか、集合写真へのキャプション、
「楽しい野球人生だった」
「みんな、ありがとう!」
試合から一夜明けてのピッチャーくんは、
「引退前より早く目が覚めた」
と。
みんなの気持ちを想像すると胸が熱くなる。
今どきの高校生たちの生の思いを、SNSのおかげで私も知ることができて感動した。
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長男は野球部の子の名前を挙げながら、3年間、怪我したり、部活を辞めようと思うこともあったりしつつ、続けてきた~~が、最後に代打で出られたんだなあとか、スタメンだったんだなあとか振り返っていた。
1年生の時の体育のソフトボールで、長男がピッチャー、ファーストがゆうまくん、ショートが神谷くん、外野が増山くんで、ガッチリ守ってくれたり、みんなで4連続ホームラン打ったりしたことも懐かしそうに話した。
入学したばかりの最初の遠足で一緒に回ったのも野球部の子たち、1年生の頃、一緒にお弁当を食べていた仲間、長男の誕生日にフライパンをプレゼントしてくれた仲間にも野球部くんたちがいた。
昔のブログから引っ張り出すと・・・
長男の誕生日に、長男が当時いちばん欲しがっていた鉄製のフライパンをプレゼントしてくれた。代表で買いに行ってくれたのはショートの増山くんだった。
みんなへのお礼に、このフライパンを使い、前夜と当日朝、大量に作っていったお弁当(笑)
この時は、自転車通学で崩れてほしくないから、私が車で送った(笑)
☆写真だと小さく見えるけど、すごい量だった。
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野球でよく使われる「一球入魂」という言葉。
プロもアマも関係なく、どの選手も一球一球に魂を込めてがんばっているわけで・・・
私はたまたま今年の豊商のバッテリーくんたちと関わることができ、かつて参列した、現在巨人の大竹寛投手の、カープ時代の私の親戚との結婚披露宴を思い出した。
カープの松田オーナーや当時の野村監督、浦和学院の監督に混じり、祝辞を述べた浦和学院時代に寛ちゃんとバッテリーを組んでいたキャッチャーくん。
詳しい内容は忘れたけれど、キャッチャーくんが大竹との忘れられない「あの一球」について話した。
その話を高砂から真剣に聴いていた寛ちゃんの表情が忘れられない。
勝負に生きる(生きた)男たちは、数えきれない球を投げ合っても、「あの一球」を絶対に忘れはしないんだなあと。
結果的にその一球が勝ちをもたらすのか、負けにつながるのかわからないけれど、忘れられない一球の思い出を共有し続けるバッテリーの絆、チームの絆、親子の絆は素晴らしいなあと思った。
かつては、選手や応援団など、自分と同じ年代の気持ちしかわからなかった自分が、今では高校生の親となり、球場に詰め掛けていた保護者たちの気持ちにも寄り添いながら観戦した。
球場が人生だった。
必死にがんばる子ども、その子どもを見守る必死な親たちを見て、小説の書き方にも重ね合わせていた。
一人称で自分から見える世界を語ることと、親の視点を知って書くことは違う。また、全体を俯瞰して、天からの視点で書くことも違うわけで・・・
グラウンドから観客席、空に近い階段の上から球場全体を眺め、大げさに言えば、人間への愛おしさすら感じていた。
豊田まで足を運び、生で試合を観てきて良かったです。
授業で行けなかった生徒たちは気の毒だったけど、私にとって、一生忘れられないような試合がまた一つ増えました。
野球部のみんな、もちろん、あらゆる高校生のみんなが、この先、自分たちにとっての「あの一球」を思い出してほしいし、高校生活の中に魂を込める瞬間をいくつも見つけていってほしいです。
ありがとう\(^o^)/