<展示を観に出かけたのは3月8日だったけど、ブログに改めてまとめたいと思い、その時の写真に補足します>
お友達の 松田健汰くんのfacebookのシェアで知った、「石松チ明 不美人画展3」(@フォルム)
先月そのシェアを見た時点で絶対に行こうと思い、投稿を保存したり、カレンダーに書き込んだりしていた。
そこまで絶対!!と思うものは珍しい。
画風から、2年前くらいに、ふれでぃーさん(歯医者さんで、ご自身も絵を描かれたり、美術館友の会の会員さん)が「貴女の小説の世界観と重なる若い女性画家がいるから、会わせたい」と言ってくれてた方かなあと想像した(その後のfacebookのやり取りで、正解だった!!)。
実際に足を運び、フォルムの雰囲気と合う展示に、ハッと息をのんでしまった。
お客さんが少ない時間帯だったこともあり、じっくり鑑賞できた。
(写真撮影OKでしたが、いつも絵は、実物と写真がどうしても違ってしまうので申し訳ない。線が繊細なので、緻密な細部は実物をご覧いただきたいです。末尾にご案内の写真も載せておきます)
確かな画力と組み合わせのモチーフの妙(タイトルもおもしろい)、観察眼、遊び心、意地悪心・・・
全体を通して感じたのは<20代特有の痛みを内包した美>だった。
例えばこちらは、「みじめな娘ら」というシリーズ。
*展示の順番があいまいですみません。
芸術は好き嫌いの世界だろうけど、私はハッキリと石松さんの世界観が大好き!!(笑)
エロとグロ(グロほどは行ってないけど)、エロスとタナトス、可憐さと儚さ、切なさ、いろいろを想像します。
痛みは女から切り離せない。
何年か前にたいへん話題になった日本画家の松井冬子さんの作品も、浜松まで観に行ったことがあるけど、当時彼女がNHKで特集されていた時のタイトル、「痛みが美に変わる時」も思い出していた。
文学でも、特に20代女性が書くものは痛みや身体感覚が豊かだし鮮烈。
赤坂真理の初期作品や、詩人の頃の川上未映子(「先端で、さすわさされるわそらええわ」)、漫画家なら、岡崎京子よりも魚喃キリコを思い出すような作風。
江戸川乱歩の倒錯した世界や、明治大正昭和浪漫・・・みたいな!
家に戻ってからも余韻は続き、女が受ける痛みについて考えていた。
生理痛、性交痛、陣痛、会陰痛、授乳痛(そんな言葉はないだろうけど、出産直後に味わう人生初の痛み)・・・・・・・
息子二人を育てていて、同年代の女子には生理がある頃になっているので、生理というものがない男という生き物がいかに単純に生きていけるか(単純になってしまうわけ)を実態として知る思いがする。
味わう痛みの種類も男の方が身体的にも精神的にも圧倒的に少ないと思う。
女の人生の方がグラデーションが様々。
だからこそ、女にしか描けない作品が、文学でも美術でも映画でもあるのだと思う(逆もまた然りで優劣の話ではない)。
特に、女の10代から20代は大きく変化する。
激しく変化するとはいえ10代はまだ子どもだけど、20代の、子どもから大人の女に変化したり、結婚や出産を意識せざるを得ないその時期の心身の変化は格別。
私も、23歳で子宮の病気を体験したため、人生で考えるべきことを前倒しで一気に考えなければならなくなり、20代を一層加速的に駆け抜けた印象がある。
20代の痛みや苦しみやよろこびを人一倍知っている分、20代女性が私はすごく好き(どの年代も好きだけど)。
悩みも含めて、思いっきりその年代を謳歌して欲しいと思う。
石松さんの絵を観たその日、facebookに投稿したところ、健汰くんがコメントをくださり、その上、私の感想を石松さん本人に伝えてくれて、早速石松さんがリクエストとメッセージをくださった。
いきなり意気投合(笑)
お互いに、その夜テレビで放映されていた映画『カメラを止めるな』を観ながらメッセージのやりとり(笑)
チ明ちゃんも、本が大好きだそうで、文学から多大な影響を受けて創作しているとのこと。
素晴らしい。
だからこその深みや凄み。
ということで、最終日までの間にフォルムでお会いすることになりました😊
めちゃめちゃ楽しみ。
自分の小説の他に、私が20代で影響を受けた小説や画集を抱えていこうと思います。
すべてわかってもらえるという、不思議な共鳴がすでにある(笑)
チ明ちゃんは、25歳になったばかり。
私は46歳。21歳も年が違うのに、語りたいこと、語り合えることがいっぱいありそう。
久々に、心躍る画家さんに出逢えました。
彼女の作品と私の小説を重ねてもらえたことを光栄に思います。
こんな風にすぐにつながり合えてしまう現代にも感謝(ふれでぃーさん、健汰くんに感謝)。
フォルムの卵サンド。
パンも卵もふわふわで、卵ときゅうりの他に酢漬けのキャベツがアクセントとなっていた。
展覧会のDM☆
これからもっともっと飛躍する画家さんです。
楽しみに応援します!!