Love the Moment

日原いずみ

入院中に感動したこと ②

 

【退院の日のできごと】 *自分のための覚え書きで長いです。

 

今回の入院で、私は初日にかなり緊張していたと思う。

人やものごとに緊張することがあまりない方だけど、首の手術が恐くて(過去に別の手術も受けているけどその時は恐怖心がなかった)、緊張というか、気が昂っていたというか、とにかく、入院翌日の手術が無事に受けられるのかどうか、自信がなかった。

 

というのも、手術日(金曜)と同じ週の日曜日(5日前)には足の側面と裏側に湿疹みたいなものが急に出て、月曜日の診察後の夜には首の腫れ(手術のために意図的に腫れた状態を保っていた)からか発熱し、火曜日(3日前)は一日グッタリしていた。さらに、水曜夜には生理が始まったかも(それも2月に人生最長の間が空いたため予定通りにならなくなった)、という、ほんとうにほんとうに最悪の状態だった。

体調が万全の時に手術を受けたいのに、その手術への恐れからのストレス反応なのか、手術を終えたら消えていくことなのか、しかし肝心の手術は受けられるのか・・・

 

そんな状態で入院した時、耳鼻咽喉科の病棟でお世話をしてくれた看護師さんたちが明るくて、明る過ぎても気後れしたと思うけれど、その時は、「ただ明るく接してもらえるだけでこんなにも励まされるのか」とありがたく思っていた。

 

体調が悪いということはなかったけれど、病棟が想像以上に暖かいために熱が上がりやすい私は手術直前に微熱があったものの(先生方によって審議された)、無事に手術が受けられることになった。

 

手術前に付き添ってくれた男性看護師さんにも癒されたけど、①で触れた手術直後にお世話になった白衣の天使のような看護師さんには、今回最も助けられた。

 

全身麻酔から覚めた経験を持つ人にはわかってもらえると思うけれど、直後の数時間はかなり辛い。

酸素マスクをしていても、楽ではなくてむしろ違和感から「(マスクの外の)本当の空気が吸いたい!」になってしまう。

手術中に口から差し込まれていた管によって口腔内はカラカラだし、点滴やらいろいろな管は付いてるし、軽いパニックのような状態。

 

自分があっち側に行くのか、こっち側に帰ってこれるのか不安になってしまうのだ。

そんな時に、その白衣の天使にしか見えなかった看護師さん(若くて、とてもかわいらしい)が甲斐甲斐しく寄り添ってくれて、術後3時間は水分を摂ってはいけないので、せめてと口の中を湿らすうがいをお願いしたら快く介助してくれて、とにかく、仕事とはいえ、嫌な顔ひとつしない対応に、感謝の気持ちでいっぱいになった。

 

安静にする必要がある辛い辛い3時間は、意外にも美しい夕焼けのような情景がずっと頭に投影されていた。私は視覚の右から左へ動いていくようなその映像みたいなものを追い続けるうちに3時間が経った。

 

その看護師さんは夜の9時に交代で、交代後のベテランの看護師さんも素晴らしかったけれど、退院前に最もお礼を伝えたかったのは白衣の天使ちゃんだった。

 

術後二日目に、希望していた個室が空き、4人部屋から移ったものの、翌日、重篤な患者さんのために私の部屋を空けることになって、急に看護師長さんから「4人部屋か他病棟の個室に移っていただきたい」とお願いされた。

 

戸惑いながらも生理だったことが大きくて(部屋にトイレがある)、同じ科の病棟よりも個室を優先し、結果的に私は、違う階の産婦人科の、とても快適なシャワー付きの個室で残りの時間を過ごした。

 

しかし、別の科に移ってしまったため、お礼を伝えたかった白衣の天使に再会できず、退院前にお手紙を書いた(ノートを破って)。

 

私は元々手紙をよく書く方で、人生初の入院だった東京女子医大病院(*大学4年の夏休み)では、大部屋で一緒だった自分以外の7人?と主治医(若い女医さん)に手紙を渡して退院した。モットーとかパフォーマンスとかではなく、感謝を伝えずにいられないのだ。

島根医科大学病院に入院した時は、術後の一時期同じ病室になった帝王切開の産婦さんと、その後長いこと年賀状のやり取りをしていた。

 

産婦人科の個室で、退院の手続きを済ませ、あとは夫のお迎えと会計のみ、という待ち時間の間に、天使に向けたお手紙を持って、別の階の、元いた耳鼻咽喉科の病棟に出向いた。

ナースステーションで事務の人に天使ちゃんが今日いるかどうか尋ねたら、すぐそばにいた、私が部屋の移動を依頼された看護師長に話が行き、その日は天使ちゃんがお休みだとわかった。お手紙を渡して欲しいと伝えたところ、師長が出てきてくれた。

 

私が感謝の気持ちを話したところ、師長が思いのほか感激してくれて、彼女も天使ちゃんに期待をしていることなどを話してくれた。

「患者さんからのこういうお声は、(まだ勤続年数が浅い)彼女の何よりの励みになります」と。

私が上記のような天使ちゃんの素晴らしさに加え、耳鼻咽喉科の病棟の看護師さんたちの雰囲気が良かったこと、やさしくご老人の話し相手になって頭が下がるような思いがしたこと、初日に感じた「明るく接してもらえることでこんなにも励まされるとは驚いた」ということを伝えたところ、師長は涙ぐみ、思わず私の手をつかんでくれるほどに喜んでくれた。

 

「年数などで、スキルの違いはあっても、患者さんのために、それぞれにできることをするように伝えてきたことが、こうして患者さんから知らされて、私が言ってきたことが看護師たちに伝わり、実践してくれていることがわかって、本当にうれしい」

 

みたいなことを言ってくれた。

 

部屋の移動を言われた時のしっかりした師長さんの印象とは真逆なくらいに、顔をほころばせて自分の気持ちを話してくれて、ああ、師長さんも常日頃がんばってるんだよな、と、急に可愛らしく見えて、応援したくなった。

 

先輩看護師から指導される若い看護師たちも、先輩も、責任者も、みんながんばっている。

 

私のことをよく知ってる人からすると、またやってる、という感じかもだけど(笑)、感謝や感動、お褒めの言葉は伝えずにはいられない。

 

お節介なようだけど、大げさなようだけど、勇気を出して、一歩先に進んでみること、「伝える」というアクションを起こすことで、がんばってる人たちが報われて、さらなるやる気につなげてくれたら、その先にまた喜ぶ人が増えるわけで・・・

 

感謝や喜び、幸せの循環を、やはり私は大切にしたい。

 

その日はもう一つ、ふだんは入院病棟で受けられる退院診察(抜糸含む)が、手術等の都合で私の元々の主治医(執刀医)の外来まで出向くことになった。

入院病棟から、なじみの外来病棟に行き、無事に診察や抜糸を終え(もちろん、主治医に最大限のお礼を伝え)、中待合室で少し待つ時に、手術の報告やこれまでの外来のお礼を最も伝えたかった若い看護師さんが目の前の診察室からちょうど出てきた!

*相変わらずバッタリに恵まれる。

 

 「わ~~」とお互い言いながら傷を見てもらうと、「きれいきれい」と言ってくれて、

「会えて良かった、お礼を伝えたかった」と話すと

「実は今日で最後で、明日から病棟に移る」とのこと。

話すうちに、私が入院したまさに耳鼻咽喉科の病棟だとわかり、「雰囲気良かったよ!!」と伝えたら「緊張してたから教えてもらえて良かった!」と言ってもらえた。

見たことをちょうど伝書鳩できてよかった。

 

自分の年齢の変化もあり、看護師さんという存在への見方も変化する。

同じ年くらいの看護師さんはベテランの域で、若い看護師さんたちは本当によくがんばってるし、かわいい。なくてはならないお仕事の彼女たち(男性看護師が増えているのも良いことだと思う)には、これからもがんばっていただきたいです。

 

①も②も、今回の入院の忘れられない感動のできごととなりました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

入院中に感動したできごと ①


【3月28日のできごと】 *忘れたくなくて携帯で打っておいた。

個室を希望したけど入れず、4人部屋に入った初日の夜、斜向かいに術後らしい若い子が移動して来た。

以前入院した時の大部屋は、基本はカーテンを開けて過ごし、プライベートにこもりたい時にカーテンを閉じていたけれど、コロナやスマホの普及もあり、みんなカーテンを閉めて過ごすのが当たり前になっていた。

そんなわけで私より後に来たその子の姿は見たことがなく、ただ、どうやら勉強をよくしている様子が看護師さんとの会話でわかった。

女子高生なのかなあ。
春休みの年度末にそんなに勉強するのは進学校の子で宿題やテストが多いのかなあ。

 

その翌日、私自身が手術を受け、術後、朦朧とした状態で、その4人部屋に戻ってきた。

正直、術後すぐは別室で休めると思っていたので面食らったが、自分を担当してくれた、まさに白衣の天使に見えた看護師さんが、私の世話を一通り終えて、その斜向かいの女子高生くらいの子に話しかけていった。

私は自分が必死な状態だったのに、二人の会話がよく聞こえてきた。

「高校、〇〇? ジャージがそうかなーと。私も〇〇だったの。
勉強すごいね、大学受験?」

「あ、今年卒業して、名古屋の大学には受かったけど行きたくなくて、浪人するんです」

みたいな話で、その会話によると、東京に行きたい大学があり、そこを目指して再挑戦する様子。
そのためにもう、勉強を始めている。

その高校の女子で浪人する子は珍しい。
私はその子の意志の強さにひそかに感動していた。

 

翌々日の、その子の退院の日。

廊下で私の側からはお顔を確認したものの、話してないし、かなり迷ったけれど、一期一会と思い、部屋の中にその子と二人というタイミングが訪れた時に、ネームプレートを確認し、カーテンのそばから名字を呼んだ。

「同じ部屋の☆☆ですけど、ちょっとだけいいかな?」

中には髪の長いかわいらしくて意志の強そうな子。

「この間、お話聞いちゃって、勉強がんばってるの、えらいなあと。
実は私は早稲田に行ったんだけど、どうしても行きたい学校に入ると、30年後の今も楽しいから。私も東京にも行きたかったから気持ちわかるよ。その頃の出会いが、その後もずっと続くから。だから、がんばって」

と。

聞けばやはり同じ高校の友達で浪人する子はおらず、予備校には通わず、ネットで勉強を続けていく様子。

私なりのアドバイスを伝え、みんな楽になりたいから、推薦とかで入れる私立に決めちゃう様子もわかるし、でも、がんばることを選択した彼女を励ましたかった。

「応援してるから。でも、とにかく身体には気をつけてね」

と言ってカーテンを閉じた。

お節介だったかなぁという反省はもちろんしつつ、その後、その子が退院の荷物をまとめた最後に、わざわざ私のところに挨拶に来てくれた。
そっとカーテンを開けて、
「さっきはありがとうございました」
と。

手術の影響か、鼻が詰まったかのような声。

私は彼女が来てくれたことに感動し、

「意志のある子が今は少ないから・・
もし、うまくいかなくても、絶対にいい人生になるから・・がんばってね。
でも何より大切なのは身体だからね。
いい人生を送ってね!!」

と、暑苦しく。

それを聞いてくれた彼女の目が真剣で、彼女が去った後、私はカーテンの中で泣いた。


18歳の春
48歳の春


30年後の彼女が幸せであってほしい。


私は過去の入院生活(東京女子医科大学病院、島根医科大学病院、豊橋市民病院)で出会った人たちのことが今でも忘れられない。

若い時の、入院という非日常での出会いが、その後に残り続けることもある。

彼女のその後に残りたいわけじゃないけど、彼女ががんばると決めたこの一年のモチベーションの片隅に置いてもらえたらと思った。

入院中に声をかけてきた変なオバサンがいたけど、あの人の言うこと、本当だったなあと。


「行きたい大学に入ると30年後も楽しいよ」よりも、
「意志を持ってがんばると、よい人生になるよ」の方が伝わってくれたらいいな。
かと言って、決して無理はせず、健康第一に・・・

もう会うこともないだろうけど、「絶対にいい人生になるから」とか「いい人生を!!」の部分を、心に持って生きていってくれたらいいな💐

 

 

 

 

 

 

mixs. と 松月堂古流の花展

 

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【追記】お写真がお上手な鈴木美江さんが、ちょうどお伝えしたい花展の投稿をしていたのでお願いして、2枚お写真をいただき、追加しました。
週に一度通っているmixs.に、退院後、初めて行ってみた。先週の入院前(水)に行けて、意外に休むことなく振り替えで参加できた。
退院時のハイテンションと違い(笑)、家事が始まっている今は、首の傷をかばう分、意外なところが凝るような感じで、どうしてもmixs.でほぐしたかった。
松本先生が、お日柄の良い3月31日に出版した電子書籍(「養生の力」の英語版)の中に、私の寄稿文の英訳もあるので、それらは改めてお知らせしたいです。
窓から見える桜がまだ花をつけていてうれしかったし、月替りの亡きお母様の絵が、私のいちばん好きな絵になっていて感激した。
やはり深い呼吸や血の巡り、自然のリズムは大切。
開催中の、お友達も出品の松月堂古流の生け花展。
プラットの展示の看板や設営をやった、mixs.
生徒のデザイナーさんが写真をわざわざ見せてくれた。
私も行きたいけど、月曜までだと体調的にまだ自信がなく(花だけなら大丈夫だけど人々が)、でも素敵だから宣伝を。
東日新聞の記事です。
この写真よりずっと素敵だから、興味のある方、良かったら💐

ネアポリスのクレープ!

 
【4月2日 投稿分】
 

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明日静岡に帰る長男の運転で、2つの公園の桜をはしごし、新しく始まったクレープ目当てで、石窯ピッツァのネアポリスへ。
ここは、長男が中学時代に職業体験でお世話になったお店で、当時、料理人に熱烈に憧れていた長男にとっては、ずっと特別なお店。
私もインスタで複数の人のクレープの投稿を見て、食べたいと思っていた。
マスターが試行錯誤を重ねて実現に至ったメニューのうち、長男は「エシレのレモンシュガーバター」(←パリッパリで香ばしい)、私は「苺とフランボワーズのクリームチーズ」(←最後にチョコも出てくる満足感)。
一般的なクレープよりはお高めだけど、なんと言っても生地が抜群に美味しい。
石窯ピッツァ用の小麦粉を使って、配合を工夫しているそう。そもそも元々美味しかったピッツァの生地も、マスター独自のある到達点に至ったらしく、その応用でのクレープ生地だから感激します。
長男は高校時代も最近もピッツァ目当てで行きつつ、私は久々で、熱く語ってもらえてうれしかった。
コロナでめげてる飲食店も多いけど、ネアポリスは確実に進化し、前を向いていた。
嘆きの言葉は一切なく、清々しかったです。
長男がそのマスターに、働くことについて教えてもらったことを改めてうれしく思いました。
今は月火木金の16時半から18時限定で、これから土日もクレープの販売をしたいらしく、土日の14時から18時に働ける方を募集中だそうです😊
テイクアウトもイートインもできます。
イートインの場合、ドリンクもあります。
ランチとディナーの間の営業で、夕食前にクレープ⁉️というのは承知でがんばってます。
今後メニューや営業形態も変化していくだろうし、タイミング合う時にぜひ、食べてみてください💛
 
 
 

風三昧

 
戻ってきて 1週間ぶりの 風三昧🎶
温かいお気持ち、ありがとうございます。
コメントのご返事も、ブログの続きもまた書きます。
ザワザワ期を経て、頭がクリアになったら、多少こもって創作します😊
 

youtu.be

 

☆風くんの記事も途中になってるので、そのうちまとめたい。

 

 

 

 

 

退院当日の雑感


2021年、3月31日。
天赦日と一粒万倍日と寅の日が重なり、今年一番縁起がいい日とされる今日(たまたま)、1週間の入院生活を終えて、無事に退院できました。

タートルネックを着て入院したけど、季節はすっかり春になっていました。

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この写真は、入院中に撮ったデイルームの写真。
豊橋市民病院の耳鼻咽喉科の病棟)

ふだんなら、見舞客でにぎわうお部屋だけど、コロナ対策で面会禁止で、その分、静かで快適な滞在でもありました。
もちろんそれは、私の子どもが大きくなっていたからで、過去、2009年に成人スティル病の発症で緊急入院した時(同じ市民病院の膠原病内科)は、当時小2と年中の息子たちに申し訳なく、夫が連れて来てくれる二人に会うのを楽しみにした入院期間(その時は10日)でした。

 

私は過去、東京女子医大病院島根医科大学病院、豊橋市民病院への入院経験があり、市民病院は2度の出産も入れると、5度目の入院でした。
それを悲劇と思う人は、以下を読まないで欲しいです(笑)

自分の人生の移り変わりで感じることも大きく変化し、すべての入院で大きな学びを得てきたけど、今回もまた、素晴らしい入院体験でした。

お世話になった耳鼻咽喉科の先生方、看護師さん、配膳やお掃除の方々など、すべての方々に感謝します。

双方の母に頼らず、息子二人と家事などがんばってくれた夫にも、心からの感謝です。



私は今回、首の左側にあった、「側頸嚢胞」の手術で入院しました。
以前から、「側頸嚢胞」の検索で来る方が一定数いるので、参考になるような体験記を、いずれまとめる予定です。
有料ブログにして閉じた形で公開したいと思っています。*傷跡も記録するので、ある程度の経過を含めて、本当に見たい、知りたい方だけに向けて・・・

なので、詳しいことはそちらに書きますが、その嚢胞とは16年(正確には長男の妊娠中に気づいたので約20年)のおつき合いでした。

「側頸嚢胞」は、私自身が胎児の時に、母のおなかの中でふさがるはずの管がふさがらずに残ってしまい(耳鼻咽喉科に属する部分の形成時期)、成人後に腫れてくる例が多く、10万人に数人しかいない先天異常です。

周りに症例がないので対応に困ってきました。

次男の産後にひどく腫れて、当時は名古屋の大学病院でないと手術ができないと言われ、乳飲み子を抱えて途方に暮れました。

でもその頃は穿刺して中の液体(水が溜まってしまう)を吸い取れば半年くらいは腫れずにいたので、腫れたら穿刺、ということで乗り切ってきました。

子どもが小さくて入院が難しかったことや、冒頭の通り、他の病気もあったので、自分の身体の容量(感覚的な、耐える力)みたいなものがいっぱいいっぱいで、根治は手術だとわかっていてもなかなか踏み切れませんでした。

もちろん、手術を回避するために様々な人に話を聞いたり、民間療法や健康法も試しました。でも、無理でした。

やがて穿刺の頻度が増えてしまい、この2年ほどは、1、2ヶ月に一度、市民病院の耳鼻咽喉科外来で穿刺してもらっていました。
首に太めの注射針を刺すので、慣れたとは言っても、毎回悲しい気持ちになりました。

度重なる穿刺や主治医の転勤もきっかけとなって手術を決断し、本当は昨年5月の手術予定(その先生の転勤前のはずだった)がコロナで延期となり、夫の休みの関係で年度内、次男のお弁当の心配がない春休みに行いました。


すべて、流れや背景があって、結果的には「今」で良かったと思っています。

穿刺してペッタンコになると、このまま一生腫れてこないんじゃないかと思うくらい「ふつう」だったのに、やはりどうしても腫れてきて、
人前に出る講演なども多いので、実は首が腫れているのをスカーフ等で隠して乗り切ったこともしばしばでした。そんな写真を二つ(同席してくれた方も多い場面)引っ張り出してみました(笑)


🌟2019年5月の ピースママン主催(まのちょもちゃん主催)の『自己肯定感をはぐくむ子育て』の講座。

 

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↑実はこの時はけっこうパンパンで、翌日熱まで出ました。


🌟2019年6月 リフレクティックスの全国会議 in 豊橋 (上下ともいただいた写真)

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元々巻き物が好きなので、オシャレのようにして乗り切りながらも、内心ハラハラしていることも多かったです。昨秋の市長選の応援演説の時も、スカーフの下の首は腫れていた時もありました。

****************

今回、入院前に見えないストレスや恐怖心からか、身体に妙な反応も複数出て、たいへんでした。
術後の方が体調が良いくらいだった(笑)

もちろん、術後も相応にたいへんだったし、全身麻酔から覚めた直後は、このまま意識が遠のいてしまうのではないかと心配になりました。

傷跡も思ったより大きいです。
でも、それが嫌じゃないのです。

首はたくさんの神経や、命に関わる血管もある、とてもデリケートで難しい部位だけど、長年経て大きくなってしまったり、癒着もあった嚢胞(こぶみたいな固体がある方が手術はやりやすいと思うけど、私の場合は、中身が液体なので、水風船の皮の部分の剥離)を、見事に除去してくれた若い主治医の先生に尊敬と、書き表せない感謝でいっぱいです。※もともとご縁のあった手術がうまいという先生にもお願いして入っていただきました。

どれほど厄介だったか(常に困るわけではないけど、腫れたらどうしよう?を常に思い続けた16年)を自分自身がいちばんよく知っているので(頭での心配と首の体感)、取り除いてもらえたことや、目や口が開かない麻痺や後遺症が残らずにやってもらえたことのうれしさでいっぱいです。
(まだまだ不具合はあっても、です)

嚢胞が腫れていた時は、自分の首をカッコイイとは到底思えなかったけど、傷ができたことにかっこよさすら感じている。
自分は確かに変わっていて、その刻印を改めて押されたようで、それがうれしいし、清々しい。とにかく晴れ晴れとしている。そう思うこと自体がやはり、私なんだなって思います。

 

今回個室を希望していたけど、最初は入れなくて4人部屋で、その出会いでも感動的なことがありました。後半個室に移ったものの、一日で急患のために、おそらく一番元気だった私が4人部屋に戻るか他病棟の個室に行くか打診され、生理と重なってしまったこともあって個室をお願いしたら、最初は整形外科の予定だったのに、産科のすごーーくきれいなシャワー付きの個室に入れて、とってもラッキーでした。

 新生児の泣き声に、自分自身が嚢胞を患うようになった2度の出産頃を思い出したのもご縁でした。

 

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今回の入院ではテレビを見る気がなくて、直感的に選んで持って行ったこの4冊がどれも当たりだった。

特に、佐野洋子さんの生き方や考え方には改めて共感し(正直、むき出し、傷だらけ)、泣いたし笑ったし(例えば最初の結婚での息子さんと、2度目の結婚相手の詩人の谷川俊太郎さんとの対談など)、

病になると必ず読む横尾忠則さんの『病の神様』も、やはり大いにうなずくことばかり。
久々に読み返した池田満寿夫さんの小説にしても、芸術家や表現者と呼ばれる3人が圧倒的に変わっていて、やはり私もそっち側でいい!!って強く思いました。

入院前日には、日を憶えていてくださった画家の松井守男さんがわざわざ素晴らしいメールを送ってくれて、フランスやコルシカの光を感じて励まされたし、例えば松井さんは私の傷に絶対に引かずにおもしろがってくれるので、やはり私はそういう世界が好きだと思いました(たった今、退院の報告をしたら、すぐにまた勇気の湧く芸術的なメールをくださった)。

傷に偏見を持つ人(過剰にかわいそうと思う人も)とはつき合わなくても良いので(これはとても広いことを意味します)、そんな意味でも「新しい私で生きていこう」と思っています。

書きたい小説も浮かんでいます(今回の体験もオイシイので、盛り込むことにした)。
健康第一に、ますます自由に生きていこうと思います。


病院からの帰宅後、リビングにある小さなガジュマルの横に、計量カップが・・・

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これは、次男に水やりを頼む時に、水をあげ過ぎないように、70CCくらいとLINEを送ったので、次男がちゃんと計ったんだとわかりました(笑)

それがとても愛しくて・・・

今回、病院から、「傷跡の写真を見たい?」とLINEした時、長男は「見たい!」で、次男は「いい」でした。
本当に性格が違う兄弟なんです。

※鉢の後ろの写真を拡大する人もいるので先回りで解説すると、当時ふだん整い気味だった長男の変顔と、ふだんぶちゃいく気味だった次男の笑顔。


長男は、私の入院のタイミングに静岡から帰ってきて、元々の予定で今日は大型2輪の試験で、2度目の挑戦で見事に合格して、テンション高く帰ってきました(笑)

次男は、生身の私の傷跡は見てくれました。

 

夫含めた男3人での生活、良かったと思います。

ふだん野菜が好きではない次男が、夫の作った野菜料理には文句を言わずに食べていたそうで、彼なりにがんばって協力していたんだと感じました。

 

こんなに書けるくらい元気だけど(無理はしないですが、私の場合は、書いた方がスッキリするし健康)、家ではヨレヨレ、ヨロヨロを演じて過ごすつもりです(笑)

 

まだネタはあるけど、今日はこの辺で。

 

心配してくださった方々、ありがとうございました。

入院前にも見ておいたけど、今年の早い桜にも間に合いました🌸🌸🌸🌸🌸

 

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夕方までに上記を書いてあって、その後、流れで家族4人で何年かぶりの外食をしました。

子どもたちが幼い頃は頻繁だった旅行や外食が、中学時代の長男と夫の関係がこじれてからなくなっていました。

なので、感動でした。

次男の希望の店にしたくて、近所のブロンコビリーに行きました。

ふだん牛肉を食べない次男だけど、過去にランチした時に美味しかったみたいで(笑)
長男や私は選ばない店ではあったけど、次男の気持ちを絶対に尊重したかったのでここで良かった。

 

みんなへの感謝で私がご馳走しました☺(私が払うのなら夫はどこでもいい人)

 

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人生も家族も変容するから、すべて愛しいし、たいへんでも、幸せです。

厄介な嚢胞すらギフトに思えた体験でした。

 

この後のお風呂もサイコーだった(笑) 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

経過報告(だった)


【3月29日 facebook投稿分】

携帯のデータ容量がギリギリで、facebookに書いたものの、インスタやブログには転載できませんでした。
facebookでは200もいいねをいただきました(笑)

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手術も無事に成功して、しっかり生きてます。食欲もある😊
☆首の先天性の嚢胞で、次男の産後に腫れたものをこのタイミングで手術した感じです。
月末で携帯のデータ使用量がギリギリになり、一部のお友達には個別に報告しつつ、投稿や閲覧は控えてます。
心配かけた方すみません。
また退院できたら書くけど、前ほどは書かないかな(笑)
術後最初に傷跡を見た時、鏡の中の自分を見て「新しい私、こんにちは」と笑顔で思った😊
強がりじゃなく、ぜんぜん嫌じゃないのが自分でも不思議(笑)
病室で、2011年発行の文藝別冊「佐野洋子」(追悼総特集 100万回だってよみがえる)を読んでいる。これを当時買った私も、今回チョイスして持ってきた私もグッジョブという感じの素晴らしい特集。
泣いたり笑ったりしながら、これからの生き方を考えてます🌸🌸🌸🌸🌸