Love the Moment

日原いずみ

退院当日の雑感


2021年、3月31日。
天赦日と一粒万倍日と寅の日が重なり、今年一番縁起がいい日とされる今日(たまたま)、1週間の入院生活を終えて、無事に退院できました。

タートルネックを着て入院したけど、季節はすっかり春になっていました。

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この写真は、入院中に撮ったデイルームの写真。
豊橋市民病院の耳鼻咽喉科の病棟)

ふだんなら、見舞客でにぎわうお部屋だけど、コロナ対策で面会禁止で、その分、静かで快適な滞在でもありました。
もちろんそれは、私の子どもが大きくなっていたからで、過去、2009年に成人スティル病の発症で緊急入院した時(同じ市民病院の膠原病内科)は、当時小2と年中の息子たちに申し訳なく、夫が連れて来てくれる二人に会うのを楽しみにした入院期間(その時は10日)でした。

 

私は過去、東京女子医大病院島根医科大学病院、豊橋市民病院への入院経験があり、市民病院は2度の出産も入れると、5度目の入院でした。
それを悲劇と思う人は、以下を読まないで欲しいです(笑)

自分の人生の移り変わりで感じることも大きく変化し、すべての入院で大きな学びを得てきたけど、今回もまた、素晴らしい入院体験でした。

お世話になった耳鼻咽喉科の先生方、看護師さん、配膳やお掃除の方々など、すべての方々に感謝します。

双方の母に頼らず、息子二人と家事などがんばってくれた夫にも、心からの感謝です。



私は今回、首の左側にあった、「側頸嚢胞」の手術で入院しました。
以前から、「側頸嚢胞」の検索で来る方が一定数いるので、参考になるような体験記を、いずれまとめる予定です。
有料ブログにして閉じた形で公開したいと思っています。*傷跡も記録するので、ある程度の経過を含めて、本当に見たい、知りたい方だけに向けて・・・

なので、詳しいことはそちらに書きますが、その嚢胞とは16年(正確には長男の妊娠中に気づいたので約20年)のおつき合いでした。

「側頸嚢胞」は、私自身が胎児の時に、母のおなかの中でふさがるはずの管がふさがらずに残ってしまい(耳鼻咽喉科に属する部分の形成時期)、成人後に腫れてくる例が多く、10万人に数人しかいない先天異常です。

周りに症例がないので対応に困ってきました。

次男の産後にひどく腫れて、当時は名古屋の大学病院でないと手術ができないと言われ、乳飲み子を抱えて途方に暮れました。

でもその頃は穿刺して中の液体(水が溜まってしまう)を吸い取れば半年くらいは腫れずにいたので、腫れたら穿刺、ということで乗り切ってきました。

子どもが小さくて入院が難しかったことや、冒頭の通り、他の病気もあったので、自分の身体の容量(感覚的な、耐える力)みたいなものがいっぱいいっぱいで、根治は手術だとわかっていてもなかなか踏み切れませんでした。

もちろん、手術を回避するために様々な人に話を聞いたり、民間療法や健康法も試しました。でも、無理でした。

やがて穿刺の頻度が増えてしまい、この2年ほどは、1、2ヶ月に一度、市民病院の耳鼻咽喉科外来で穿刺してもらっていました。
首に太めの注射針を刺すので、慣れたとは言っても、毎回悲しい気持ちになりました。

度重なる穿刺や主治医の転勤もきっかけとなって手術を決断し、本当は昨年5月の手術予定(その先生の転勤前のはずだった)がコロナで延期となり、夫の休みの関係で年度内、次男のお弁当の心配がない春休みに行いました。


すべて、流れや背景があって、結果的には「今」で良かったと思っています。

穿刺してペッタンコになると、このまま一生腫れてこないんじゃないかと思うくらい「ふつう」だったのに、やはりどうしても腫れてきて、
人前に出る講演なども多いので、実は首が腫れているのをスカーフ等で隠して乗り切ったこともしばしばでした。そんな写真を二つ(同席してくれた方も多い場面)引っ張り出してみました(笑)


🌟2019年5月の ピースママン主催(まのちょもちゃん主催)の『自己肯定感をはぐくむ子育て』の講座。

 

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↑実はこの時はけっこうパンパンで、翌日熱まで出ました。


🌟2019年6月 リフレクティックスの全国会議 in 豊橋 (上下ともいただいた写真)

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元々巻き物が好きなので、オシャレのようにして乗り切りながらも、内心ハラハラしていることも多かったです。昨秋の市長選の応援演説の時も、スカーフの下の首は腫れていた時もありました。

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今回、入院前に見えないストレスや恐怖心からか、身体に妙な反応も複数出て、たいへんでした。
術後の方が体調が良いくらいだった(笑)

もちろん、術後も相応にたいへんだったし、全身麻酔から覚めた直後は、このまま意識が遠のいてしまうのではないかと心配になりました。

傷跡も思ったより大きいです。
でも、それが嫌じゃないのです。

首はたくさんの神経や、命に関わる血管もある、とてもデリケートで難しい部位だけど、長年経て大きくなってしまったり、癒着もあった嚢胞(こぶみたいな固体がある方が手術はやりやすいと思うけど、私の場合は、中身が液体なので、水風船の皮の部分の剥離)を、見事に除去してくれた若い主治医の先生に尊敬と、書き表せない感謝でいっぱいです。※もともとご縁のあった手術がうまいという先生にもお願いして入っていただきました。

どれほど厄介だったか(常に困るわけではないけど、腫れたらどうしよう?を常に思い続けた16年)を自分自身がいちばんよく知っているので(頭での心配と首の体感)、取り除いてもらえたことや、目や口が開かない麻痺や後遺症が残らずにやってもらえたことのうれしさでいっぱいです。
(まだまだ不具合はあっても、です)

嚢胞が腫れていた時は、自分の首をカッコイイとは到底思えなかったけど、傷ができたことにかっこよさすら感じている。
自分は確かに変わっていて、その刻印を改めて押されたようで、それがうれしいし、清々しい。とにかく晴れ晴れとしている。そう思うこと自体がやはり、私なんだなって思います。

 

今回個室を希望していたけど、最初は入れなくて4人部屋で、その出会いでも感動的なことがありました。後半個室に移ったものの、一日で急患のために、おそらく一番元気だった私が4人部屋に戻るか他病棟の個室に行くか打診され、生理と重なってしまったこともあって個室をお願いしたら、最初は整形外科の予定だったのに、産科のすごーーくきれいなシャワー付きの個室に入れて、とってもラッキーでした。

 新生児の泣き声に、自分自身が嚢胞を患うようになった2度の出産頃を思い出したのもご縁でした。

 

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今回の入院ではテレビを見る気がなくて、直感的に選んで持って行ったこの4冊がどれも当たりだった。

特に、佐野洋子さんの生き方や考え方には改めて共感し(正直、むき出し、傷だらけ)、泣いたし笑ったし(例えば最初の結婚での息子さんと、2度目の結婚相手の詩人の谷川俊太郎さんとの対談など)、

病になると必ず読む横尾忠則さんの『病の神様』も、やはり大いにうなずくことばかり。
久々に読み返した池田満寿夫さんの小説にしても、芸術家や表現者と呼ばれる3人が圧倒的に変わっていて、やはり私もそっち側でいい!!って強く思いました。

入院前日には、日を憶えていてくださった画家の松井守男さんがわざわざ素晴らしいメールを送ってくれて、フランスやコルシカの光を感じて励まされたし、例えば松井さんは私の傷に絶対に引かずにおもしろがってくれるので、やはり私はそういう世界が好きだと思いました(たった今、退院の報告をしたら、すぐにまた勇気の湧く芸術的なメールをくださった)。

傷に偏見を持つ人(過剰にかわいそうと思う人も)とはつき合わなくても良いので(これはとても広いことを意味します)、そんな意味でも「新しい私で生きていこう」と思っています。

書きたい小説も浮かんでいます(今回の体験もオイシイので、盛り込むことにした)。
健康第一に、ますます自由に生きていこうと思います。


病院からの帰宅後、リビングにある小さなガジュマルの横に、計量カップが・・・

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これは、次男に水やりを頼む時に、水をあげ過ぎないように、70CCくらいとLINEを送ったので、次男がちゃんと計ったんだとわかりました(笑)

それがとても愛しくて・・・

今回、病院から、「傷跡の写真を見たい?」とLINEした時、長男は「見たい!」で、次男は「いい」でした。
本当に性格が違う兄弟なんです。

※鉢の後ろの写真を拡大する人もいるので先回りで解説すると、当時ふだん整い気味だった長男の変顔と、ふだんぶちゃいく気味だった次男の笑顔。


長男は、私の入院のタイミングに静岡から帰ってきて、元々の予定で今日は大型2輪の試験で、2度目の挑戦で見事に合格して、テンション高く帰ってきました(笑)

次男は、生身の私の傷跡は見てくれました。

 

夫含めた男3人での生活、良かったと思います。

ふだん野菜が好きではない次男が、夫の作った野菜料理には文句を言わずに食べていたそうで、彼なりにがんばって協力していたんだと感じました。

 

こんなに書けるくらい元気だけど(無理はしないですが、私の場合は、書いた方がスッキリするし健康)、家ではヨレヨレ、ヨロヨロを演じて過ごすつもりです(笑)

 

まだネタはあるけど、今日はこの辺で。

 

心配してくださった方々、ありがとうございました。

入院前にも見ておいたけど、今年の早い桜にも間に合いました🌸🌸🌸🌸🌸

 

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夕方までに上記を書いてあって、その後、流れで家族4人で何年かぶりの外食をしました。

子どもたちが幼い頃は頻繁だった旅行や外食が、中学時代の長男と夫の関係がこじれてからなくなっていました。

なので、感動でした。

次男の希望の店にしたくて、近所のブロンコビリーに行きました。

ふだん牛肉を食べない次男だけど、過去にランチした時に美味しかったみたいで(笑)
長男や私は選ばない店ではあったけど、次男の気持ちを絶対に尊重したかったのでここで良かった。

 

みんなへの感謝で私がご馳走しました☺(私が払うのなら夫はどこでもいい人)

 

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人生も家族も変容するから、すべて愛しいし、たいへんでも、幸せです。

厄介な嚢胞すらギフトに思えた体験でした。

 

この後のお風呂もサイコーだった(笑)