Love the Moment

日原いずみ

ゴーンさんの弁護団

 

昨日から今日にかけてのこと。

まずは昨日のこの記事。

 

jp.mobile.reuters.com

 

この弁護団の中に、元々の年上の友人で、2012年の衆議院議員総選挙の際にはガッツリ手伝った近藤剛さんがいると、共通の友人(*Aとします)からのメッセージで知り、事件の内容とは関わらず、剛さんの抜擢をうれしく思った。

 

カタイ話ではなく、その友人に最初に送った返事では

「チョーウケる!!」

と書いた。

どうしてこうも、リアルな知り合いが要職に就き、メディアに出てくるのか、という気持ちもあった。

 

剛さんは国際弁護士で能力の高い人だから、国政や外交に送り出したかったけど叶わず、その後、剛さん本人に会った時に、日米のある重要な場面で通訳をした話を聞き、政治家ではなくても、日本や世界のために活躍し続けてほしいと願った。

 

なので、ゴーンさんの事件の善悪については私には情報や知識が乏し過ぎるので触れるのは控えるけど、日本やフランスばかりではなく、海外から注目され、国内外においての様々な問題を含むこの案件に剛さんが関わり、重責を担っていることを、誇らしく思ったし、がんばって欲しいと思った。

 

こうして書いているのは、かつて剛さんが選挙に出た時、様々な思想のねじれが生じる中で、私を経由して剛さんを知ったり、投票してくれた方々がいたので、その方々に向けて、「剛、がんばってます」みたいな気持ち(ささやかな恩返しやご報告)もあってのことです。

 

その選挙は3.11の翌年だったこともあり、原発問題も大きな争点だった。

外交官を父に持ち、自然に「地球人」的な感覚を身につけて育った剛さんは環境問題にも関心が高く、脱原発の考えだったので応援したいと思った。しかし、選んだ政党や選挙直前の合併などから、剛さんの良さを全面的に理解してもらえる選挙運動や結果にはならず、残念だった。

 

などなど、いろいろな思いがあるし、剛さん本人にも、剛さんを信頼し、選挙を共に戦った方々にも、今でも特別な仲間意識がある。

 

という背景があっての今回の会見。

YouTubeに出ていたので載せておきます(剛さんはマイクに乗る声としてはしゃべってない)。

 

www.youtube.com

 

 

私は残念ながら歯医者の予約があり、中継は見られず、家に戻ってテレビでゴーン事件について触れる情報番組を見ていたところに、冒頭の、剛さんとの共通の友人のAさんから電話がかかってきた。

 

Aさんはテレビがもっと力があった頃に、キー局の報道にいた人で、記者としてもプロデューサーとしてもバリバリ仕事し、過去に大きな事件や案件も扱ってきて、特捜部とかそういう存在ともリアルに関わってきた人。

現在もジャーナリストとして独自の取材&執筆活動をしている。

 

剛さんもチョー頭いいけど、Aさんもチョー頭良い。

私の家では中継が見られなかったけど、中継を見ながらAさんがリアルタイムで贅沢な解説をしてくれた。

 

私もテレビの現場にいたことがあるのでよくわかるけど、Aさんは天性のプロデューサー感覚というか、そんな小さなものではなく、神的な視点というか(根はやさしいけど、世の中の現象に感情で流されない)、幅広い情報や直感や嗅覚、何より全体を見て話せる人なので、いちいちおもしろかった。

 

今回の場合、会見に臨む「話す側」(弁護団)と「聴く側」(記者たち)がいて、さらにこんな風に簡単にYouTubeに出るくらい、その先で視聴する人たちが大勢いるわけで、だったらもっと、見られることを意識したらいいのに、というのがAさんと私の共通の見解だった。

 

というか、私たちからしたら、「もっと近藤に(剛に)話をさせたらいいのに」と思った。

 

大鶴さんも能力が高いでしょうが、剛さんがネイティブに近い英語で直接語った方が力を持っただろうに。

瞬時に影響力や説得力が生じただろうに。

 

と思ったけど、おそらくいちばんゴーンさん本人と直接語っているであろう剛さんは今回は話さないという戦略だったのかなあ。

 

と、これはまた、本人に聞きます(笑)
昨日衝動的に送ったショートメールに会見後に返事をくれたので・・・

 

それにしても、Aさんと話すといつも、頭の回転の速さや話のおもしろさに感心する。

今回、会見における服装の話などから、Aさんの美意識についても改めて窺い知る形となり、本物の芸術に触れる大切さを語り合った。

 

思えばAさんと初めて知り合ったのは、私が最初の小説で群像新人賞の最終候補に残り、小説を書いていた頃(2000年)で、まだ本になる前の原稿の段階の『チョコレート色のほおずき』を読んでもらった。

文学への希求や共感がAさんと親しくなるきっかけでもあった。

 

根に文学や芸術への関心や美意識を持つと、表層に出る言葉や行動が違ってくる。

 

日本は今、文学部をなくそうとしたり、教科書にも文学的な文章を減らそうとする動きがあるけれど、Aさんと話していて、それはやはり間違った方向性だと実感した。

 

「そこはかとなくただよう」知性や品性や美意識を放棄することにつながりかねない。

 

こたえがはっきり出ないものの重要性。

 

白と黒や善と悪みたいな二元論で考え、経済や効率、即効性、それらを追い求めることが正しいとされるそんな世の中は、出汁の効いてない味噌汁や料理のようなものだと思う。

 

私の主観になって、わかりにくいとは思うけれど、Aさんと、ゴーンさんや剛さんから始まって、日本のこと、海外のこと、メディアのことなど語りながら、「本当の美や美味しさがわかる人間でありたいな、自分も子どもも」というところに帰結しました(^^)

  

 剛さんとAさんとの2012年の3ショット☆
(昔のブログの写真からの転載で、小さいです)

頭イイけど、天然で自由な人たちだから、私にとってはめっちゃ気楽なお友達💕

 

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京都新聞1月9日付 一面>

 

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中日新聞1月9日付 社会面>

 

 

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