Love the Moment

日原いずみ

吉行淳之介など

【4月15日 投稿分】*写真なし

複数のいろいろなことが同時に動いていて、自分自身のどうしようもない鋭敏さ(良し悪し)について考えていた時、
過去にブログに記録した文章を探したくて、「日原いずみ 吉行淳之介」で検索。
そして出てきた2010年4月の記事がなかなかおもしろかったので抜粋します。
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 夕食を終え、最近読んでいる吉行淳之介の『闇のなかの祝祭』に戻る。
 その中の一節・・・
 <男と女とが一緒に暮してゆくために必要なものは、情熱でもなく、肉でもなく、それは忍耐にちがいない。相手の存在を燦めく光が取囲んでいたとしても、それはやがては消え去って、地肌の醜い部分が露出してくる。それをたじろがずに見詰め、自分の中に消化しようとする。しかし消化し切れない部分が常に残り、絶え間ない違和感と生ぬるい苦痛とを与えてくる。それを忍耐することが、男と女とが暮してゆくために最も大切なことだ。>
 うーん。頷ける。
 暮らし続けることに何の疑問も持たない人もいるだろうけれど、「絶え間ない違和感と生ぬるい苦痛」を敏感に感じ取ってしまうのは吉行氏や私みたいな人間に共通する性質なんだと思う。
 吉行氏に、奥さんと、宮城まり子さんがいたことは知っていたけれど、そこに大塚英子さんという女性もいたこと(もちろん他にも超いっぱいだろうけど、生涯を貫く関わりを持った女性としては3人か4人。いや、もっと?)は、知らなかった。
 奥さんとの生活が忍耐となり、宮城さんとの生活も忍耐となった時、生活や責任を背負わないで済む大塚さんという女性が必要だったのだと思う。  
 『闇のなかの祝祭』はシリアスな内容であるのに喜劇のようにコミカルな部分もあり、笑いがこみ上げてくる。ほとんどそのまんまであろう登場人物たちのキャラが立っていて、本人たちは大真面目なのに、可笑しくてたまらない。主人公の「沼田沼一郎」という名前もおもしろい。
 まだ途中だけど、私は吉行さんが愛しくて、可愛くてたまらない。
 どうしようもない厄介な状況から逃れればいいのに、彼の繊細さややさしさや正直さが、責任と恋情との間で引っ張られる。
 浮世離れした人かと思っていたけれど、生活どっぷりの吉行氏が身近に感じられて共感しきり。
 中島らもさんの言葉、「恋愛は日常に対して垂直に立っている」も思い出した。
 世の中から決して褒められることではないけれど(咎められることだろうけど)、どうしようもない衝動に突き動かされて生きているまっすぐな人たちが私はすごく好きだ。
 生きている、という感じがするからかな。
  Life is wonderful !!
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 後日読み上げた『闇のなかの祝祭』。
 吉行淳之介さんはすごい作家だったんだなと再認識。
 何年か前の中日新聞東京新聞も?)の夕刊で連載されていた宮城まり子さんの『この道』の切り抜きより・・・
 <「修行僧の『氷のやうに透み渡った』世界には、線香の燃える音が家の焼けるやうに聞こえ、その灰の落ちる音が、落雷のやうに聞こえたところで、それはまことであらう。あらゆる芸術の極意は、この『末期の眼』であらう」という川端康成の文章を吉行はほとんどそらんじていて、口伝えのように教えてくれた。>
 まさにその通りで、驚くほどの繊細さで吉行氏は世の中や女を見ていた。
 名作は今、文庫でも読めるけれど、私は出版時の本にも触れたいといつも思っている。
 『ベッドタイムアイズ』も『限りなく透明に近いブルー』も文庫で感動した後、図書館の閉架書庫で出版時のハードカバーを借り、その時代の空気に触れた。
 『闇のなかの祝祭』は昭和36年発行。『暗室』は昭和45年。古めかしくて重みのある本。
 言葉を選びながら、原稿用紙の桝目を埋めていった、ひとりの小説家の息遣いを知る思いだった。
(引用ココまで)
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最近は、読書熱も映画熱も低下してて、でも、考えることは相変わらず好きで、語れる(アウトプットできる)相手にありがたく語らせてもらっている。
今日探し出したかったのは、上記の「末期の眼(まつごのめ)」のこと。一昨年東愛知新聞で連載したコラムにも書いたことある。
この感覚は、自分自身生きづらかったり、人によっては疎んじられたりもするけれど、変わらずに持ち続けていくと思う。