Love the Moment

日原いずみ

父の日に、昨年の内田也哉子さんの謝辞を・・・


2020年6月21日

夏至&日食&父の日の今日。

 

とりたてて、父の日ということでの考えはなかったけれど、近々実家に行くので、父にはわかりやすく感謝の気持ちを伝えてこようと思います。

 

たまたま別のことから、保存してあった、昨年、内田裕也さんのお葬式の時に、娘の也哉子さんが読んだ謝辞の全文を読み返し、改めて素晴らしいと思い、スポーツ紙がいくつか載せていた全文を消えないうちに自分のブログに記録させてもらいます。

(弔辞や謝辞にも著作権はあるんだろうけど、問題なさそうな範囲で・・・)

 

 

内田也哉子さん 謝辞全文】

 

 本日はお忙しいところ、父、内田裕也のロックンロール葬にご参列いただきまして、誠にありがとうございます。親族代表として、ご挨拶をさせていただきます。

 私は正直、父をあまりよく知りません。「わかりえない」という言葉の方が正確かもしれません。けれどそこは、ここまで共に過ごした時間の合計が数週間にも満たないからというだけではなく、生前、母が口にしたように「こんなにわかりにくくて、こんなにわかりやすい人はいない。世の中の矛盾をすべて表しているのが内田裕也」ということが根本にあるように思えます。私の知りうる裕也は、いつ噴火をするかわからない火山であり、それと同時に、溶岩の狭間で物ともせずに咲いた野花のように、清々しく無垢な存在でもありました。

 率直に言えば、父が息を引き取り、冷たくなり、棺に入れられ、熱い炎で焼かれ、ひからびた骨と化してもなお、私の心は、涙でにじむことさえ戸惑っていました。きっと、実感のない父と娘の物語が、はじまりにも気付かないうちに幕を閉じたからでしょう。けれども、きょう、この瞬間、目の前に広がる光景は、私にとっては単なるセレモニーではありません。裕也を見届けようと集まられたお一人、お一人が持つ、父との交感の真実が、目に見えぬ巨大な気配と化し、この会場を埋め尽くし、ほとばしっています。父親という概念には、到底、おさまりきらなかった内田裕也という人間が叫び、交わり、噛みつき、歓喜し、転び、沈黙し、また転がり続けた震動を、皆さんは確かに感じ取っていた。

 「これ以上、お前は何が知りたいんだ」

 きっと、父もそう言うでしょう…。

 そして、自問します。私が唯一、父から教わったことは、何だったのか? それは、たぶん、大げさに言えば、生きとし生けるものへの畏敬の念かもしれません。彼は破天荒で、時に手に負えない人だったけど、ズルイ奴ではなかったこと。地位も名誉もないけれど、どんな嵐の中でも駆けつけてくれる友だけはいる。
 「これ以上、生きる上で何を望むんだ」

 そう、聞こえてきます。

 母は晩年、自分は妻として名ばかりで、夫に何もしてこなかった、と申し訳なさそうに呟くことがありました。「こんな自分に捕まっちゃったばかりに…」と遠い目をして言うのです。そして、半世紀近い婚姻関係の中、折り折りに入れ替わる父の恋人たちに、あらゆる形で感謝をしてきました。私はそんな綺麗事を言う母が嫌いでしたが、彼女はとんでもなく本気でした。まるで、はなから夫は自分のもの、という概念がなかったかのように。勿論、人は生まれもって誰のものでもなく個人です。歴とした世間の道理は承知していても、何かの縁で出会い、夫婦の取り決めを交わしただけで、互いの一切合切の責任を取り合うというのも、どこか腑に落ちません。けれども、真実は、母がその在り方を自由意志で選んだのです。そして、父もひとりの女性にとらわれず心身共に自由な独立を選んだのです。

 2人を取り巻く周囲に、これまで多大な迷惑をかけたことを謝罪しつつ、今更ですが、このある種のカオスを私は受け入れることにしました。まるで蜃気楼のように、でも確かに存在した2人。私という2人の証がここに立ち、また2人の遺伝子は次の時代へと流転していく…。

 この自然の摂理に包まれたカオスも、なかなか面白いものです!

 79年という永い間、父がほんとうにお世話になりました。最後は、彼らしく送りたいと思います。

 Fuckin’  Yuya Uchida,don’t rest in peace 

just Rock’n Roll!!!


2019年4月3日
喪主 内田也哉子

 

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何度も何度も読み返してしまう、選び抜かれた言葉で紡がれた、一分の隙もないような、素晴らしい文章。

 

也哉子さんの感性が好きで、『赤土に咲くダリア』の帯の推薦文候補の中には、私側からの希望として也哉子さんもあったし、そんな背景から、出版社の方から完成本を送ってもらったこともある。

 

内田也哉子さんと宇多田ヒカルさんは私の中で重なる面があって、たいへんな両親のもとで生まれ育ち、早くから大人になることを求められてしまったような、どこか達観したような、静けさと強さと寛容さを持っている。きっと寂しさもだろうけど。

 

私は父について(母についても)、素直に尊敬の気持ちを持っているけれど、自分自身が夫と築いてきた家庭は決して夫婦円満、家族円満ではなかったので(今は落ち着いているけど)、子どもたちに申し訳なさを感じることも多々だった。

そんな時に、也哉子さんの感性や言葉は支えとなった。

私はこの文章のあちこちに共感する。

特にこの部分・・・

<人は生まれもって誰のものでもなく個人です。>

夫婦であろうと、親子であろうと、家族であろうと、個は個。

 

我が家は4人それぞれの個が強めで、折り合えない、融合できない、ということもたくさんあったし、これからもだろうけれど、今、一人巣立った長男が、自立心を持って楽しく過ごしている様子を感じると、これはこれで良かったのかな、と思える。

 

家族という枠におさまらない人こそ、何かを成すエネルギーも持てるんだろうな。
もちろん、個も家族も大事にできる人が最高ですが(笑)

 

自分から見た時の親にも子にも配偶者にも感謝しつつ、私は私で行こうと思う。


夫も、長男も、次男も、それぞれの個を貫いて生きていってほしい。


 

【大好きな内田家の過去の家族写真】

 

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