Love the Moment

日原いずみ

LIKE A ROAD MOVIE

 

【2020年4月2日】

実家の両親と弟親子と、長男次男の入学祝いの焼肉に出かけ、にぎやかに見送ってもらった夜の帰り道、助手席に座っていた次男(ふだんは後部座席に座ることが多いが、長男がお世話になったお隣の先生と義母に届けたいと、実家でもらった観葉植物をワサワサと後部座席に乗せたので長男が後ろ)が自分のiPod touchから音楽を流し、音量を大きめにして、みんなで聴きながら帰ってきた。

 

いろいろな曲が入っていたけれど、ふと、私たち世代からしたら懐かしい音楽が・・・

例えば、The BOOMの「風になりたい」

我が家にもあるアルバムジャケットを載せます。

 

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この曲は私が20代の頃に流行って、アルバムは、ミュンヘンで働いていた妹の職場の人からもらったものがなぜか私の手元にあるので、このアルバムを思い出す時は、東京とドイツがよみがえる。

いずれにしても私の青春期の音楽を、次男が取り出したことが不思議だった。

聞けば、小学校の時に、自分より上の学年の卒業式で歌われて記憶に残っていたらしい。

その他、今どきのヒゲダンとかに混じって、東京事変の『閃光少女』も出てきた。

そのアルバムも持っている(笑)

 

 

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「閃光少女」は、私が今のところの人生で最も好きな歌と言っても過言ではない。

歌詞が自分の心情に合っていて、ぶわっと泣ける時がある。

 

長男も次男も、私がイヤだと思う歌手を好きになってないことがうれしい。

私も好きだと思う歌を聴いていることがうれしい。

 

服装も生き方もそうだけど、「センス」って重要だ。

センスは努力して身につけるものではなくて、育つ中で養われるものだと思う。

残酷なようだけど親のセンスが悪いと、子どもも悪くなってしまう。

もちろん好みの問題だけど、私は子どものために自分のセンスを譲るようなことはせずにきて、そのおかげか、まるでこれまでの育児の答え合わせのように、息子たちが自ら選ぶ何かが素敵だと、良かったなあと思う。

振り返れば、息子たちがものごころついた頃に、私が熱心に聴いていたアルバムはこれらだった。

 

菊地成孔の「南米のエリザベス・テイラー

 

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中島ノブユキ「エテパルマ

 

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この二つは何度か書いているけど、「赤土に咲くダリア」に出てくる音楽のモチーフとなっている。

そして、上記の東京事変のアルバムの少し前の、椎名林檎の「三文ゴシップ」も。

 

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次男に「閃光少女はどうやって知った?」と聞いたら、「キミが聴いていたし、YouTubeで出てきた」とのこと。

いいぞ。

椎名林檎タイプの女を嫌うのではなく好きになれるような男が理想(笑)

 

と、音楽によって思い出す昔や、私も好きな音楽を息子たちが選ぶようになったという彼らの成長など、一瞬の間に、車内で(私の頭の中で)10年、20年、30年くらいの時がびゅんびゅんと行き来し、物語と距離と時の流れを感じるロードムービーの中にいるような気持ちになった。

 

夜に、実家から豊橋に向かう車。

 

思い起こせば、長男&次男が小さかった時は、実家に行くのも一苦労で、二人をチャイルドシートに乗せ、退屈しないようにおもちゃを次々手渡したり、約1時間の道中が耐えられないから途中で休憩して歩かせたり、いろいろ工夫が必要だった。

ある時、夫も含めた家族4人で実家に行き、夜、夫がお酒を飲み、私が運転せざるを得なくなり、夫は酔いつぶれて寝ていて、長男がまだ赤ちゃんくらいで、そんな状態で、後ろの四駆みたいな車からあおり運転をされたことがあった。

私は明らかな弱者という立場で、保護されていいような日々精一杯の時だったのに(酔った夫と幼い子どもを乗せて運転するだけでも精一杯)、あおり運転をしてくる車が恐ろしかったし、残念だった。あの時の怒りと情けなさに満ちた感情は忘れられず、そんな話をふと、現在の長男次男にした。

<特に反応はなかったけど、この頃二人が私をバカにするので、私ががんばって育ててきたことは伝わったと思う>

 

あの頃の小さかった息子二人がすっかり大きくなって、18歳と15歳、大学生と高校生になる。

時の流れをしみじみと感じながら、道中時間差で、

「キミたちが、私もいいなあと思う音楽を選ぶことがうれしい」

「キミたちのお母さんになれて良かった」

「気に入らないこともいっぱいあったとは思うけど、忙しい実家に頼らず、日中ほとんど一人で体力ある2人を見てきて、精一杯だった」

などなど話した。

時々泣きながら・・・

 

息子二人は、それぞれの成長とともに、それぞれの関わり方も変化しながらきた。

この感覚はとても不思議なものなんだけど、長男も次男も、もちろん同じ人間なのに、それぞれの変化と同時に、それぞれの関わりの変化があったので、思い出すと、たくさんの彼らがいて、過去もこの先も、一瞬たりとも同じ彼らはいない。

長男が家を出る寂しさは、今の長男が家を出ていくことだけではなく、同じ家で見てきた過去の彼に、当たり前だけど、もう二度と会えない、成長とは、未来へ向かうことで本来は喜ばしいことなのに、過去をずっと見てきた親からすると、思い出す断片的な息子の姿がいくつも思い浮かび、ともに暮らすことが当たり前だった日々が、もう戻らないという現実を突きつけられるような気持ちになるからかもしれない。

 

↑わかりにくいかと思うけど、ごく個人的な感情の記録として・・・

 

 

【4月4日 引っ越しの朝】

夫がボックス型のレンタカーを借りてきて、家から運ぶ荷物を積み込み(前夜、全部夫がやり、長男は遊びに行っていた。おかしな話だけど、3年間ほぼ口を聞かなかった父子関係から、今度は逆に針が振れるような(と言っても会話がすごく増えてるとかではないけど)関わり)、二人で静岡に出発していった。

 

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先月の長男との大きなケンカ(私と)を経て、いいことも悪いこともたくさん話し、「最後に」という感じで世話も焼いたので、私としても、悔いはない感じ。

コロナウィルスのせいで世の中が落ち着かず、大学の入学式やガイダンスが中止となり、授業開始もいったん定まったもののわからない現況でかわいそうではあるけど、そのおかげで、大学に行くまで間ができたら帰ってくるだろうし、私も静岡なら行きやすいので、涙で送るということもなかった。

その前夜は泣いたけど(笑)

 

思い出したので記録すると、引っ越し前夜、長男は彼女ちゃんと豊橋での最後の夕食に出かけていたので、長男がいない食卓だった。

私はご飯を食べながら、ふとある場面を思い出し、涙が出た。

私が東京に小説の打ち合わせに行く時に、泣きながら手を振っていた小さかった泣き虫の長男。
その長男が大きくなって家を出ることになり、今度は老いた私が泣いている。

幼稚園でも私の姿を見ると泣いていた長男が、すっかりたくましくなった。なってしまった。

フィールドをどんどん広げて、アメリカにも中国にも行ってきた。

数多くの友達に恵まれて、ほとんど家にいないような日々だった。

自分でいろいろ考えて、バイト代もずいぶん貯めて、今は勉強の意欲に燃えている。

数ヶ月単位での成長が目覚ましかったな。

 

家を出る彼に与えたのは、健康な身体や歯(虫歯なし)、健やかな精神、感性、センス・・・

人生の土台づくりはある程度してきたつもりなので、この先、自分でどんどん自分らしい、自分にしかない未来をつくっていってほしい。

 

美しいキャンパスに行けたらいいのに、という状況の今だけど、1月6日撮影の静岡県立大学

 

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学校はなかなか始まらなくても、学校に歩けるアパートで、エリアからは富士山も見えるので、清々しい空気の中で、清々しい大学生活を送ってほしいです。

 

昨日、長男に赤ちゃんの頃の写真を見せ、その時に出てきた、当時のガラケー撮影分やいただいた画像を現像したものの一部・・・

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いろいろあり過ぎたけど、彼らのお母さんになれて良かった。

4人家族、楽しかった。

もちろん、暮らす場所は離れても、家族は家族。

これからの新しい関係や、長男&次男それぞれの成長を楽しみにしています。

 

人生は結末のわからないロードムービーのようなもの。

渦中を楽しみ、予測不可能な筋書きを経て、行けるところまで安全に、日々を大切に重ねていきたい。