Love the Moment

日原いずみ

2020年3月11日の31(サーティワン)アイスクリームと、校長先生の式辞より。

 

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母からだいぶ前にもらったサーティーワンのアイス6個分を買える券を、良いタイミングで使おうと思っていて、子どもたちとも相談の上で、次男の高校入試が終わった今日、買ってみた。

ちなみに私は、31では、ジャモカアーモンドファッジがマストです☺

企画もののピスタチオ(クイーンオブナッツピスタチオ)は失敗しました(笑)

自粛自粛だけど、もうそろそろいいじゃん?って思ってしまう。

センバツ中止は率直にかわいそう。

 

似たように自粛自粛だった9年前の今頃、たった9年で巡ってきた日本や世界の試練、キツイなあと思う。

東日本大震災原発事故は、まだまだ癒えてない、終わってない。

当事者ではない私に書く資格はない。

遠く離れて、直接被害を受けていない私だけど、震災がなければ出会わなかったリアルな知り合いが5人亡くなっている。

すべて被災地とゆかりがある方々。

震災や原発事故と関係あるのかないのか正確にはわからない。

でも、亡くなったことは事実。

それだけでも重さを実感する。

今日、たまたま親しい先輩が仕事で東北にいるので、私の分も黙祷をお願いした。

 

*********

 

話は変わり。

今日、長男が卒業した高校では在校生が出校日だったようで(一気に集まらないように時間差で、だったそう)、長男が下級生や先生に会いに出かけて行った。

*ちなみに長男は、昨夜はバイトの後に、免許を取りたての友達から電話が来てしばらくドライブに出かけ、さらにその後、バイト終わりの大学生からも呼び出されてボーリング。何時に帰ってきたか知ってるけどここには書かないけど(笑)、少し寝た状態で学校に出かけて行った。いろいろ注意するように呼び掛けてはいるけど止められないし、自分も似たようなものだった。

校長先生はじめ、アメリカに行った時の引率の先生や大好きだった社会の先生、担任の先生、簿記部の先生、生徒会の先生、その他その他たくさんの先生たちに卒業アルバムにメッセージを書いてもらってきて、読んで私が泣いてしまった。

ほんとうに、彼は豊橋商業に行って良かったと思う。

幼稚園の時は超泣き虫、小学校の時は目立つこともなく(いろいろと表彰されるようなお子さんもいるけど、特にそういうこともなく)、中学では「変わった子」という感じで(笑)、高校ではいろいろな意味で目立っていたと思う。

目立つことがいいと言いたいのではなくて、ふつうは、学校が大きくなればなるほど存在が埋もれていったりするのに、長男の場合は逆で、学校(人数)が大きくなればなるほど、学校(というハコ)が小さく感じられるような成長の仕方だった。

 

校長先生からの言葉の一部をここに書かせてもらいます。

<あなたが一歩踏み出さなければ、変化しなかったことがたくさんあったこと覚えていますか。人より前に出ると強い風を受けます。風に敗けなければ、大きく大きく成長できます。もっと前へ!!>

 

涙があふれた。
生徒会長として、生徒の意見を背に、校長先生とぶつかることも多かった長男だけど、女性校長である先生も、長男と似たような思いを背負ってきたんだろうな、と思った。

 

アメリカへ引率してくれた先生の言葉より・・・

 

<いろいろなことを知り、いろいろなことを考える中で自らの「知の世界」をどんどん広げていったよね。そしてその力を自分のために使うのではなく、学校を変えてゆくことにつなげていった。すごい生徒だった!>

 

この先生には、長男の希望で、慶応のFIT入試を受ける時の推薦文も書いていただき、そこでもありがたい言葉をくださった(コピーが保存してある)。

 

はみ出し者で迷惑もたくさんかけただろうに、先生方は長男の良さを大きな器で見守っていてくれたんだろうなと思う。

 

長男が校長先生にお願いしていただいてきた卒業式の校長先生の式辞の中で、私も最も印象に残った部分(長男も泣いたらしい)。

 

<商業高校は明治に入り、令和三年の大河ドラマの主人公にもなる渋沢栄一の尽力により設置されました。その渋沢は「商業は、国家の盛衰を左右する価値ある仕事である。それを担う商業者は責任感と矜持とを以て 専心、商業を通じて社会の発展に力を尽くすべきである。」とし、簿記や英語といった実学の重要性を説き、商業高校の設置にこだわったのです。

卒業生のみなさんは、豊商の歴史に素晴らしい成果を、いくつも刻んでくれました。皆さんにも渋沢栄一の「商業高校」建学の精神が引き継がれています。>

☆ここから先が、Wi-Fiが不安定な関係で消えてしまい、再度書く気力がないから、おおざっぱに書きます。

 

私は自分の中学時代から教育に疑問を感じてきて、自分自身は進学校に通ったし、次男も通うけど、それでもやはり、人生の中の高校時代という大切な時間を、主に大学受験用の勉強に追われてしまうことには今でも疑問がある。

 

長男は、行きたい高校がないから、という感じもあっての商業高校の選択でもあったけど、結果的に、15歳から18歳という瑞々しい時に、商業や実学を意識して過ごせた高校生活は良かったと思う。

特に、社会の時間がおもしろかったようで、社会の先生もおっしゃっていたらしいけど、大学受験用の勉強に追われないおかげで、世界や日本や地域の、センター試験や大学入試に出るわけじゃない話題にいっぱい触れてくれて、おかげで長男は世の中や学問への関心が一層高まった。いま、これまでで最も勉強への意欲が高まった状態で大学に進むことができる。

私は自分の力不足もあり、進学校での勉強に疲弊した状態で大学に入ったので、勉強への意欲が全然なかった(東京での生活そのものや、サークル活動等、授業以外のことには燃えていた)。

 

世の中はとかく偏差値の高い高校や大学を褒めがちだけど、大切なのは、どの子も学校という枠を出た後に自立して生きていくことであり、どの子も自分自身や自分の居場所を愛せる人であってほしいし、子どもたちが自分自身や居場所を愛せるような大人たちでありたい。

 

冒頭のサーティーワンの話は、実は商業とかその辺りにもつながっていて、自粛自粛ばかりでは社会が死んでしまうので、警戒の中で、ものを買ったり回したり、少しずつ現状を打破して活気をつくっていきたい。

 

震災やウィルスなど、人間がかなわないものもあるけれど、若者の伸びゆく力は大事にしてやりたい。

まとまりないけど(割といい文章を書けたはずが保存できてなくてほんとに残念!!)、2020年3月11日に考えたこととして記録しておきます。