今日の午前中は、古池ももちゃんの事務所開きに伺いました。
私にももちゃんを紹介してくれた、衆議院議員の関健一郎くんからのメッセージに始まり(秘書の木村さんの代読)、自治会長さんやら、ももちゃんのお友達やら、20年もの間、市議会議員を務められた渡辺のりこさんやらの中で、私もスピーチさせてもらいました。
お客様も事務所ぎっしりで、温かくて実のある、とても良い会でした🍑
ももちゃんのスピーチには感動&共感して、何度も涙がこみ上げました。
※以下はももちゃんのお話から私がふくらませて解釈したものです。
ももちゃんが多摩美術大学出身のデザイナーということもあり、ヨーゼフ・ボイスの「社会彫刻」という言葉を思い出していました(市民一人一人が、この世界をどのようにしたいかというビジョンを持って毎日の生活を送るべきだという提案)。
社会をより良く変革させる。
アートや文学と政治は相反するようだけど、本来の親和性は高いはず。
日本が抱える問題は待ったなしで、前にも書いたことがあるけど、政治家というより思想家や芸術家の視点で既成概念にとらわれずに、抜本的に変えなくては間に合わない。
8歳と3歳のお子さんを抱えながらフルタイムで働くももちゃんの具体的な話から、日本の女たちに課せられてきた荷の重さを改めて実感した。日本の女性議員の少なさも。
ヒラリー・クリントンは「ガラスの天井」という喩えをよく用いたけど、日本の女性たちは蓋をされていると思った。能力を多大に持ちながらも外に向けて発揮しきれない。その蓋は、圧力鍋の蓋くらい重いし、窮屈(今どきの圧力鍋はスマートだけど)。
家事も育児も介護もまだまだ女がやるべき、という暗黙の圧力が強く、その上で少子高齢化や財源難などから「産め」「働け」と言われる。
※これは私の前々からの気持ち。
男社会をつくってきてしまったのは男のせいもあるけど、女のせいも大きい。夫を立てる、男を立てることが美徳とされてきたけど、性別関係なく、人間としての尊厳を置き去りにして、めんどくさいからと思考停止になって男や男社会をゆるしてきた女も悪いと思うし、ほんとにいろいろ変わらなきゃ。
12年前、私が今のももちゃんの年の頃に書いた「赤土に咲くダリア」の中で、最も伝えたかったメッセージは、
「女はもっと、自由になっていい」
だった。
本当にそう思う。
不満や愚痴を井戸端会議で終わらせずに政治に反映して、男女関係なく、すべての人たちが、もっと生きやすい世の中になりますように。
と、熱くなりましたが、ももちゃんはいたってプレーンでピュアでフレッシュです。
みなさまもどこかで、彼女の魅力に触れてください💕✨✨