Love the Moment

日原いずみ

スティーブ・ジョブズと私のパソコンの歴史


 今日は楽しみにしていた、スティーブ・ジョブズに関する過去の番組を見た。

 

www4.nhk.or.jp

 

 

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過去の番組の前後にゲストのトークがあり、前々から大好きなチームラボの猪子さんも出演していた。

猪子さんがジョブズに関してどう語るかにも興味があった。

 

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結果、共感していちいち泣けた。
直感的に、ジョブズ、誕生日、2月じゃないかなーと思ったら当たり(笑)
水瓶座じゃないけど、私の妹と同じ2月24日。

 

以下、まずはジョブズさんと猪子さんの名言(他者の言葉のまとめも含む)のおすそ分け。

 

ジョブズの言葉より・・・>

 

stay hungry
stay foolish

誰もが自由
体制からの解放
我々こそが自由をもたらす

革命を世界に

私たちの使命は私たちにしか送り出せない製品をつくることだ

必要なのは強い情熱

明日を夢見よ、今を生きよ

写真や映像や音楽によって、人々の生活を豊かにしたい

生活にコンピューターを

デジタルハブ

人々のライフスタイルを変化させるコンテンツを生み出したい

自分の描いた夢を25年後に実現

コンピューターと人間の新たな未来を切り拓く

先人たちが残してくれたものに感謝し、その流れに何かを追加したいと思って生きてきた

 

<猪子さんの言葉より>

 

世界を前に進めたい 

人格的にすぐれていないので、折り合いがつかなくて落ち込むことも多いのですが、そんな時はthink different の動画を見ると励まされる

 

youtu.be

 

人間の表現が物質から解放されて自由になった

表現すべてがコミュニケーション

人類そのものの考え方が大きくシフトしている

過去にはITはビジネス的な側面が強かったが、テクノロジーと文化的側面、アート的側面が強まった

二人(スティーブ・ジョブズビル・ゲイツ)が変わったというより、時代が変わった

境界からの解放

身体ごと埋没することで、作品と自分の境界をなくす

本来世界に境界はない

そもそも境界があったように勘違い

連続性の中で、境界について考えるきっかけに

コンピューターの発達により、人間はより創造的な存在になる

ジョブズが行ったように産業の境界そのものがなくなる

 

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素晴らしい。
ここの記録をこれからも読み返そうと思う。

番組をきっかけに、私とパソコンの歴史を書きたくなった。

私は本来マック好きだと思うけれど(デザインも思想も)、なぜウィンドウズにしたかと言うと、明確な背景があった。

 

1996年から書き始めた処女作『チョコレート色のほおずき』

パソコンが個人にとっては当たり前ではない時代(会社にはあったけど、個人で持っている人は珍しかったし、まだ高額だった)。

最初、東京で手書きで始めて(当時マス目や線があるノートは嫌で、まるでスケッチするように文章を自由帳(白いノート)に書いていた)、97年夏に島根県に引っ越し(美術作家のアシスタントとして)、手書きで続きを仕上げた後、美術作家のマックで打ち直して、推敲させてもらった(97年~98年にかけてのこと)。

それをプリントアウトして講談社群像新人文学賞(10月末締め切り)に応募。

その後私は98年11月から、妹が当時住んでいたミュンヘンに旅立った。

11月から観光ビザで過ごせる3ヶ月間まるまるヨーロッパで過ごし、日本に戻ったらどうしよう?どこに住もう?という不安を抱えながら帰国したところ、3日目に群像編集部(編集長)から電話が来て、「応募していた作品が最終選考に残りました!」と。
1700の応募作の中から、最終5作にノミネートされたのでした。

 

余談だけど私は号泣しました。
自分の表現を模索したい、という思いで、美術の仕事を手伝いながら、写真やイラスト、映像、小説などいろいろをかじり、あちこち応募して、いちばん上まで残ったものに適性があるのだろうと、見極めようとしていた時だったので、道が定まったと思ったのでした。

(号泣しながら温室にいる両親に報告に行ったら、母が泣いている私を見て、「犬が死んだ?」とペットのプードルが死んだのかと聞いたのがおもしろかった。名前が変わっているので話がますます長くなるので犬にしました)

チョーうれしかったけど、そこからが意外にもたいへんで、編集長が「最終選考(4月・・・電話が来たのは99年の2月)の審査員5人に読んでもらうために、原稿をデータで送って欲しい」と。

公平な審査のために、応募者の書式をそろえたいので、ウィンドウズで行数とか文字数とかも指定されたかもしれないけど忘れたけど、とにかくウィンドウズで、と言われた。

 

私はフロッピーディスク!に、マックから保存した原稿しかなく、今では簡単になってると思うけど、当時は、マックからウィンドウズへの変換作業が素人ではサッパリわからなかった。

というより、自分のパソコン自体がなかった!!(笑)

 

そんなわけで、帰国3日目の落ち着かない時だったけど、旅に出る前にたまたま知り合っていた(ほんの2ヶ月くらいの実家での滞在の間に出会っていた)豊橋技術科学大学の男子学生くんが私の近くの知り合いの中ではいちばんパソコンに詳しいと思い、彼にお願いして、変換作業をしていただいた。

自分の車もないので、親のクラウンに乗り(笑)、その学生くんのアパートに向かい、その途中に菜の花が咲いていて、釧路高専出身の彼に春を届けようと菜の花(今みたいに整備された菜の花ではなく、農道に生えているような自生のもの)を摘んで、持って行った(すごく喜ばれた。よくあることだけど、確か会って2回目ww)。

 

で、彼がパソコンで作業をしてくれてる間、私は後ろで誤字を確認し(笑)、半日くらいかけて無事にマックからウィンドウズに変換でき、メールアドレスもないので、そのまま彼のパソコンから群像編集部に送信してもらった気がする・・・

 

もうめちゃくちゃ。

 

最終選考に残ったのに、自分のパソコンで書いたものではなかった原稿を送っていたのは私くらいだったと思う。

 

結果は「該当作なし」で、みんな受賞しなかったのだけど、それをきっかけに私はウィンドウズを購入したわけです(笑)

 

とはいえ、ちょうどそのタイミングに、初代iMacが登場し、そのデザインは画期的で、ずいぶん悩みました。

 

 

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 のちにこの青を弟が買ったので、私も弟のiMacを使ったことはありました。

 

迷ったけど、当時の文章業界はウィンドウズが多かったのと、当時の私は実家で落ち着いて暮らすとも思えなかったので、デスクトップはやめて、ノートパソコンにしました。

選んだのは、シャープのメビウス

  

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当時、液晶と言えばシャープだったので、ビジュアルの美しさを期待してのシャープ。

確か、23万円くらいして、テレビのAD時代の貯金で買いました。

ちなみにその後の買い替えはDELLのノート(テンキーなし)です。

 

また余談だけど、田舎に住むには車が必要で、父が急ごしらえであてがってくれた中古車のキャロルが13万円で、13万円のキャロルに自分の身体がおさまることと、23万円のパソコンに自分の頭脳や感性を注入することに、身体的金銭的なアンバランスさというか、不思議な感覚を持った記憶がある。

当時のキャロルはこんな感じ(ネット上で一番近いものをピックアップ。紺色でした)。

 

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私は車に憧れたのは高校生くらいだけで、以降の、特にフランスやイタリアで動けばいいみたいな車や縦列駐車のためにボコボコしてる車を見てから、車への執着がまったくなくなり、自分の運転が得意ではないこともあって、安全に動いてくれたらいいと思っています。軽自動車は夫が危ないと言うので結婚の年に買ったギャランに今でも乗ってるけど、いろいろな思い出が詰まっているから古くても大事です。

上記の右往左往の1年後にこれまた予想外に結婚が決まったので、キャロル時代は短かったけど、思い出深いし、ビミョーなデザインではあったけど(笑)、愛しかった小さい丸い車。

 

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と、話がまたいろいろになったけど、私のマックとウィンドウズの分岐点は理由や背景がハッキリしていたし、人生の分岐点でもあったので、すごく印象深く、まとめてみました。

ジョブズや猪子さんの言葉にはすごく共感し、私はなぜかわからないけど、中学くらいから、ささやかでも革命的なことにどうしようもなく惹かれ、涙が出てくる。

 

これからも、彼らのような、内から湧くどうしようもない衝動や情熱に正直に、私だけの表現を続けていこうと思う。

 

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