Love the Moment

日原いずみ

箱根駅伝に関して思うこと


私は箱根駅伝が好きだけど、同時にずっと、冷めて見てもいる。

幼い頃から箱根駅伝を見て正月を過ごし、大学時代から今も、選手にも大学にもマスコミにも知り合いがいっぱいいて、今まで遠慮してきたけれど、思うことを書いてみます。

 

今日の復路、青山学院大学のゴール後の胴上げを見て、違和感でいっぱいだった。

*昨日は知っている選手を見たかったので熱心に見たけど(特に1区の中央大学・吉居大和選手に感動)、今日はほとんど見ていなかった。

*母校の早稲田がシード落ちしたから、というひがみではないです(笑)
*青学が初めて優勝した頃は、新しい潮流にワクワクしていました。

というのも、毎年胴上げのタイミングってそんなものかもだけど、今日は早くなかったですか?
アンカーがゴールして、そのまま呼吸も整わないうちに胴上げしてたっけ?

今日は、原監督の胴上げが短い時間内に2回あって、いかにも、テレビや新聞のカメラ向けというのが窺え、興ざめになったのもある。

選手たちの自発的な胴上げなら違和感がなかったかもしれないけど、マスコミによって煽られたように感じ、それに乗る監督、ゆえにそれに乗る選手たちだったように思う。まだ走るさなかの選手が青学以外のすべてにいて、彼らの思いを想像したら、優勝し、その上すごい記録でも、いかにもお祭り気分を出さないと思う。

求められたとしても断るような王者であってほしい。

カメラがずっと映し出す時間があるほどの圧勝だったために、たまたま気づいてしまったのであって、青学以外も今まで派手に喜んでいたのかもしれないけど・・・

私は夫や息子たちが柔道をやってきたので、柔道の、オリンピックにおいても、勝者が敗者を気遣い、喜び過ぎない姿勢に慣れているところもある。
相撲もそうだけど、うれしかったら思いっきりガッツポーズしたっていいじゃん、とも思うけど、礼儀とか、配慮とか、勝者こそが大切にしていてほしいし、そこに品性が表れると思う。

長男に私のモヤモヤを話したら、「剣道も喜び過ぎると失格になるよね」と言うので、調べてみた、【ガッツポーズが禁止のスポーツ】という記事より・・・

 

「礼に始まり礼に終わる」
 一度は聞いたことがあるこの言葉。実はこれ、剣道が由来になっている言葉だそう。

 全日本剣道連盟の理念の中には「相手の人格を尊重し、心豊かな人間の育成のために礼法を重んずる指導に努める」とあります。

 少し難しいので分かりやすく言うと、一緒に稽古や試合をしてくれる相手に対して感謝を忘れず、稽古に励むように指導しましょう、ということです。

「礼」というと試合前後の礼に目が行きがちですが、それだけではなく、稽古や試合において最初から最後まで礼節ある行動を求められています。

 つまり剣道において、敗者の前で喜びを露(あらわ)にするガッツポーズは、思いやりの無い礼節に欠けた行為と見なされるため、一本が無効になるのです。


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試合終了と同時に勝敗が決まる競技については、敗者の目の前で胴上げがあったとしても仕方なく感じるけど、とにかく今日の青学の胴上げは、いかにもテレビっぽくて嫌だったんだと思う。大学スポーツに商業主義が入り込むことはもはややむを得ないにしても、ある臨界点や節度を超えると、教育とか学生スポーツってなんだろう?と思い、一気に冷めてしまうんだと思う。

優勝できなかった2位以下の大学が、全面的には喜ばずにゴールする中で、19位(総合)の、初出場・駿河台大学のアンカーのうれしそうな笑顔でのゴールには感動した。

法政大学時代に途中棄権を経験したという徳本監督のコメント・・・

「当初の予定通り、遊び倒し、楽しみ尽くしました」

もう、勝ち負けや順位より、各々がどれだけ楽しむか、充実するかでいいと感じる。

 

早稲田は、力のある選手複数が、力を発揮しきれずに終わっていたので、それは残念だったけど、選手の獲得がとても難しい大学の環境なので(さまざまな制限があるし、授業料免除をしないし)、箱根駅伝に力を入れている大学と同じ戦いをするより、独自の路線を行った方がいいのかも、と、初めて積極的に思いました。

 

私のこの気持ちは、大学のOBさんにも伝えてある。

本人が箱根駅伝を走り、中村清監督のもと、完全優勝区間賞を経験し、瀬古さんはじめ名ランナーをリアルに知り、現在はランニングクラブを運営して、今回の1区区間新の吉居選手(中央大学)や2区近藤選手(青山学院大学)をジュニア時代に指導した経験があるOB。今の早稲田の監督の相楽さんともつながっているし、この10年の箱根駅伝について語ってきた。

 

元日のニューイヤー駅伝を見た時は、国内での企業間の戦いにいそしむ間に世界からは置いていかれていく様子を感じてしまい(トラック競技やマラソンで)、それがそのまま、日本の、さまざまな分野の停滞や遅れとも重なり、複雑な気持ちになった。

 

たまたま年末、豊橋市の小学校の部活動廃止後の放課後の取り組みや、中学校の部活動縮小に関して、教育長や担当課長とやり取りをしたり、実家でその話から、少子化が進む私の田舎での部活やクラブチームや運動に関する子どもや家庭間の格差について母と話した。

そんなこともあって、「今」の箱根駅伝の盛り上がりと、少子化が進む今後の箱根駅伝や大学運営についても思いを巡らせ、華やかさの陰で確実に進行している(確実に未来が明るいわけではない)「何か」を想像した。

私や私と気が合う人の考えは古いのかもだけど(今の時流に乗れないことが多い)、進化しているように感じられることの裏で、このまま右肩上がりに行くわけはない、という現実は厳然としてあるので、何をどうしたらいいのかはわからないけど、先を見据えていたい。

すべての分野において、現状維持や継承では、すぐに、悪化する未来に追いつかれ追い越されてしまうから。

時代に関係なく(時代を超えて)大切なことを、と思うと、古くさいように感じる武道の礼節が実は普遍的で、古くて新しいのかもしれない。

 

箱根駅伝、個人的に応援したい選手のことは今後も応援させてもらうけど、今の小学生たちの状況をリアルに漏れ聞くと、もちろん優れた選手はいつの時代にもいるけど、全国的な層は確実に薄くなるわけで(運動ができる子できない子の格差が広がる(能力的なできるできないだけではなく、「運動」そのものが叶えられるか叶えられないかの格差も広がってしまう)。大学に行ける子行けない子など、経済的な格差も広がる)、

胴上げの違和感から、話が広がりまとまりませんが、なんとなくの危惧が伝われば、と思います。

 

のん気に投稿しようと思っていた、実家まわりの3枚。

 

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