Love the Moment

日原いずみ

追悼 長岡さん

2026年2月23日に急逝した先輩との思い出を、自分のためと、いたみや思い出を共有したい方々、そして、この先にご家族にも伝えたくて記録させてもらいます。

*細かく正確に所属を知っていたわけではないので、知っている事実の範囲で書きます。

仙台の長岡健市さん(出身は山形)。
早稲田大学のアナウンス研究会というサークルの一つ上の先輩でした。
卒業後は、東北放送に就職され、たまたま私もお友達であった地元(豊橋)出身の女性アナウンサー(故人)と同期でした。
確か、東日本大震災の後に、facebookでつながったと思います。
当時、長岡さんは、ラジオにできることをがんばっていて、ブログでの熱い思いに感動したし、大学時代から変わらないなあ~って思った。

お互いに東京から離れたふるさとの(ふるさとに近い)地でがんばる気持ちに共感し合った。

私の方は、小説を2冊出していたタイミングで、読んでくれたように思う。

その後はfacebookでお互いの近況を知ったり、コメントをしたりしていたけど、大学卒業以来で、2018年11月に、豊橋で再会できた。

当時長岡さんは営業職になっていて、スポンサーである豊橋のある企業を訪問することになり、連絡をくれた。
私はたまたま、仕事で福岡に行っていたタイミングで、この写真は、飛行機で福岡から帰ってきて、そのままフワフワと豊橋駅のカフェで会ってお話した帰りのもの。
久々なのに、全く久々という感じはせず、でもお互いに「白髪がないね」「染めてますよ」みたいな話をした笑


サークル仲間の話もたくさんしつつ、冒頭で触れた共通の友人女性が若くして亡くなったことがお互いにショックで、その思いを共有する時間でもあった。
情に厚く、人の死を悼む気持ちが人一倍強い方で(facebookを見ていても)、その長岡さん本人がまさか亡くなってしまうなんて・・・という思い。

誰もが思っているでしょうけど、本人がいちばんびっくりしていると思う。

お互いに息子二人の親ということもあり、メッセージやコメントのやり取りではその話も多かった。
私も長岡さんの家庭を応援していたし、長岡さんも私の家庭を応援してくれていた。
その愛情が伝わってくるので、私は投稿では書かない(かっこつけているのではなく、家族のプライバシーに関わるので)、重いできごと(現在は収束)を、ある時長岡さんにはメッセージで伝えていた。*今さかのぼって見ると、2023年10月

その話は相手に器がないと伝えてない話で、長岡さんはやはり「大丈夫!」と励ましてくれて、長岡さんのお子さんの話を書いてくれて、お互いに励まし合いました。

 

その後の、2024年11月。名古屋に「スナックかすがい」(愛知県の春日井製菓のイベント)の仕事で連泊していた長岡さんが、急に予定が空いて、私の予定が大丈夫なら豊橋に行きたい(15時には戻る)と連絡をくれた。

私は、豊橋まで来てもらえるのなら!と、自分の予定を調整してなんとか会えるようにし、長岡さんのリクエストで、次に会う時はそこに行きましょう、と言っていた、「スパゲッ亭チャオ本店」へ。

HPの写真より・・・

スパゲッ亭チャオ本店(直営) | スパゲッ亭チャオ | オーギヤ ...

 

長岡さんと同じく同期の方はこれを見てピンと来ると思うけれど、チャオグループの社長でもある大木さん(私も前々から知ってる温厚な方)は、その女性のいとこさんです。

亡くなったお友達とゆかりのある(豊橋に戻ってからその会社で働いていたこともある)人気の(観光スポットでもある)昭和レトロなお店で、名物のあんかけスパゲッティを食べました。

(↑私のものは定番とは違うのですみません)


ちなみにこの日は、豊橋まで来ていただいたお礼に私がご馳走させてもらいました。先輩にご馳走することは失礼にも感じたけど(ありがたいサークルの空気的に)、お互いに子どもにお金がかかる時期という共感もあり、時の流れを感じました。

チャオの社長さんにも長岡さんや私の思いは以前から伝えてあり、「かのちゃんのこと、忘れずにいてくれてありがとうございますm(._.)m」とコメントをもらっていました。

つまり、長岡さんはそういうお方で、人との出会いやご縁をとても大切にし、労を惜しまず「実際に会いに行く」「足を運ぶ」ということを本心からしていた方だと思います。

お互いに明るいキャラクターだけど、その日はしんみりと、いろいろ語った記憶が残っている。
その後、私の豊橋案内のお決まりのコースでもあるような老舗の喫茶店に行き、お話しました。

🌟長岡さんがいつも旅のおともにしていた、春日井製菓の宣伝でもあるキャリーケースと一緒に。長岡さんのお仕事への協力も含め、キャリーケースありきで写真を撮りたかったことや店内が暗かったので、ワチャワチャと店の前で(慣れている店員さんも快く)

↑長岡さんが撮ってくれた写真。

この時のブログは「長岡さん、またね!」で結んでいる。

はしゃいだ時間が、実際に会う最後になるなんて全く思わなかったし、今年は、名古屋での「スナックかすがい」(長岡さんがマスターを務めるようなイベント)に出向くと伝えてあった。「藤村に紹介したい人たちがいっぱいいる」と言ってもらっていたし、お会いしたかった。

東北を拠点としながら、大阪に勤務していた時代や、全国での仕事もあり、大げさではなく、全国に長岡さんのお仲間やファンがいて、facebookの追悼コメントも膨大な数になっている。

本当ににぎやかな、愛されるお方、その前に、大勢の人たちを愛してきたお方なんだと実感する。

 

私にとっては、1月28日の夜に出演したzoom(東京の方の主催の読書会で、私の本を3冊紹介してくださった)に長岡さんも参加してくれていて、視聴者さんからの質問のタイミングに長岡さんに振って、画面上でお話したのが、姿を見る最後となった。

私がzoom上では、背景にベトナムのホテルの写真を使って、化粧もして照明も工夫して、老けた顔や片付かない部屋をごまかしていたのに、本を手にすると、ふと、後ろの洗濯物が映り込んでしまい(正確には電波状態の良い息子の部屋にいて、背後にかけていた洋服類)、私が慌てて「洗濯物が!」と自虐的に笑ったら、そこに長岡さんが「洗濯物ww」とコメントを入れてきたことから、「長岡さんが見てくれているんだ!」と気づいたのでした。

その日の翌日のコメントのやり取り・・・

この時長岡さんは、zoom参加のみなさまに向けて、
「まーちゃんとは、大学のアナウンス研究会というサークルで知り合ったんだけど、そこではみんな「伝える」ということに向き合っていた。それをお互いに、社会に出てから、いろいろな形でやってきたように思う」

と言ってくれて、まさにそうだと思いました。

長岡さんはDJゼミ、私は実況ゼミに属していて、大学に入ったばかりの、音楽に詳しくない自分にとっては、DJゼミの方々は男女ともカッコイイ存在でした。
*当時の私は野球好きで、神宮球場(六大学野球の実況練習)に通う男性たちに混ざっていた。実況=素朴で泥くさい(関係の方スミマセン) DJ=スマートでオシャレ♪みたいな・・・

長岡さんはラジオへの思いが強く、私はテレビのAD→現代美術作家のアシスタント→小説→講演(企業広報、コーディネーター)という道をたどり(まさに「伝える」を柱として)、インターネットが発達し、zoomという環境で、過去と今、全国(海外)の人間関係がつながり合うという中で、画面越しに長岡さんと対峙したのは感慨深かったです。


2月4日の自分の誕生日にプロフィール写真を変更したら入ったコメント。

 

これが結果的に、やり取りの最後となりました。

長岡さんのコメントや「超いいね!」には何度も何度も励まされた。

特に、家族ネタ(反抗期やら書かなかったことやら我が家もたいへんだったので)、については、いち早く「超いいね!」をくれて、アニキが温かく見守ってくれていること、応援してくれていることが伝わってきてうれしかった。

私だけではなく、大勢の、それはそれは大勢の方々を励まし、元気を与えてくれるお方でした。
私も、長岡さんの家族ネタには必ず「超いいね!」をしたり、応援のコメントを入れてきた。
*知らない方のために書くと、「いいね」ではなく「超いいね」は、❤が付くけど、単純なクリックやタップではなくて、一手間要ります。その一手間を惜しまない人や関係性でした。

🌟こちらも私の家族ネタ(たぶん、子どもたちが一人暮らしになっても、夫がクリスマスに作り続けているビーフシチュー(子どもたちの分は冷凍保存)の投稿)へ・・・

 



外での仕事以上に、家庭や家族をがんばることの大切さや難しさを知っているからこそ、私の家族に向けてのがんばりを、本当に「いいね!」「ステキ!」(がんばれよ、がんばろう)と思ってくれていた。それが一度じゃないので、ずっと励みになった。温かかった。

奥さんや、息子さん二人にも、改めてお伝えしたいです。

大学の頃から熱いお方だったけど、改めて振り返ると、愛情と情熱のお方だったなって思う。
ふるさと愛、地域愛も強く、早稲田大学の仲間の中で、東京で切磋琢磨した後、ふるさと辺りに戻る面々とのシンパシーは確かにあり、励まし合ってきたように思う。

「在野の精神」という言葉や校歌の中のこの部分がずっと好きだけど、


<集り散じて 人は変れど 仰ぐは同じき 理想の光>

↑明治40年制定という、歌詞の原文より

まさに、この歌詞のように、離れていても、お互い、それぞれの地で、同じ理想の光を追い求めてがんばっていたように思う。

 

長岡さんに出会え、親交を持てて良かったです。
ありがとうございました。

大学時代に一緒に撮った写真を探してもないくらいに、近い間柄ではなかったけど、東京を離れてからのシンパシーで、学生時代より深くつながれたような気がする。

愛情や情熱を、与えられる人はいるけど、与え続けられる人は限られると思う。
長岡さんはずっとずっと、広く与え続けてくれた。みんなに光を降り注ぎ続けてくれた。受け取ってきた温かいものを回さなくちゃと思う。

あの声を、笑顔を思い出すと、信じられないし、涙が出るけど、ご冥福をお祈りします。

この先の息子くんたちの人生において、何か役に立てたらと思うよ、長岡さん!!