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日原いずみ

ロダン館やロダン、芸術について~サグラダ・ファミリア

昨日のつづき。
静岡県立美術館のロダン館について、興味を持ってくれたお方にメッセージで説明しつつ、広く伝えたくなったので書き直して投稿します(笑)
*途中までありのまま載せてたけど、固有名詞(作家名)は名誉棄損とかになっても面倒なので、部分的に割愛します。
静岡県立美術館、企画展はいろいろ変化するけど、ロダン館はずっとあるから、企画展はどんな内容でも、そのまま見れる(入場券の中に含まれる)ロダン館、行く価値あります!
 昨日の企画展の、例えば〇〇の作品も、有名なのが図書館の所蔵としてあり、たぶん数千万や億出して買ったかもだけど(注:推測)、税金の使い方が**だなーと見ていた。
(略)
他に、△△や■■とか有名どころも。
で、ロダンも、権威に負けた地方美術館かと思って、古臭いと期待せずに行ったら、~~ちゃん😉も書いてたように、展示の仕方も素晴らしかった。
私は、展示する側にもいたから(*現代美術作家の助手時代)、決まったスペースだと、展示の仕方で価値が上下するのわかるけど、ロダン館は、まさに、作品に合わせて建て増ししたと思う。
世界の有名美術館で、数ある彫刻の中の一つのロダン作品だと魅力がわからなかったけど、しっかりと社会や信仰と結びついた、実のあるアートだと感じた。
ロダン作品で、全国や一部は世界から人を呼べるくらいの空間になっていたよ。
まあそれも、私の感受性だから、みんながそこまで感じるかわからないけど、泣けたし、長男には今は響き過ぎるから控えるけど、必ず見せたい。
まず、作品を**でつくり(←不確かなので伏せます)、それを型取りし、その型にブロンズを流し込むから、版画みたいに何体かつくれるけど、フランス政府が認めてるのは全世界に12体。
作品が大きいから、制作の手間や経費や、船便なのか、運搬まで含めたら、何十億に感じるんだよね(*これも推測)。
そんな意味でもいろいろ感じるし、「地獄の門」とか、芥川龍之介の「蜘蛛の糸」も連想するし、生々しくて凄まじいし、それに至る習作まで見ると、たくさんたくさん練って作品になるんだなあと。
昔から男女やら誕生は神々しくもあり、同時に当たり前の営みで、視点が神になると、すべて人間のすることは、尊いと同時に、取るに足りないというか、とにかく、ロダンを取り巻く、すべての熱量に感動。
90年代に、ロダンを展示しようと決めた人に話を聞きたいよ(笑)
日本の景気が良かった時で、現代アート見ても、経済や人間の歩みだなあと思う。
☆☆さんは美術品の空間への展示のアドバイスとかもしてきただろうから聞いてみたいし、
守男(*仲良しだった松井守男様)は、自分の作品が世界で飾られたかったと思う。
本当は、(略)~を意識した大作が飾られる予定だった。
(略)
新しい技法を追い求めた現代に近いアーティストより、ロダンは、原点や原初的な良さがあるよ。
人間を観察して、こねて、筋肉とか再現しようとしたのがよくわかるから、完成した作品もだけど、それに挑んだ作者のパワーを感じるんだよね。
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(投稿のための追加分)
ロダンから感じたのは、芸術家の作品制作の背景に、宗教や信仰があった時代の芸術の必然性みたいなもの。
思い出したのは、バルセロナサグラダ・ファミリア
ヨーロッパには古くて荘厳な教会がいっぱいあるので、観光名所として有名なサグラダ・ファミリアを軽視するような人もいるけど、ずっとずっと先になれば、どの教会も古くなっていくわけで、建築中の教会を見ることができたのは良かった。
しかも、実は立ち入り禁止の場所に入らせてもらい(笑)、ネスカフェ「違いがわかる男」のCMに出ていた外尾悦郎さん(*当時サグラダ・ファミリア主任彫刻家)に会えたのは(お土産までいただけたのは)懐かしい思い出。1998年。
その時一緒に旅していたフランス人のルックが外尾さんに、
「この教会の工事に関わっている人たちは信仰からですか?仕事としてですか?」という質問を投げかけたのが印象的だった。
教会への信仰という文化を知らない日本人の自分からすると・・・(もちろん敬虔な信者の日本人の方も複数知ってます)
外尾さんは「昔は信仰だったけど、今は仕事の側面の方が強いだろうね」みたいな回答だった。
だからこそ、ロダンの時代の作品への熱量を想像すると、言葉にならない涙が出てきたんだなあって思う。