Love the Moment

日原いずみ

小山田圭吾問題について、読んでいただきたいブログの紹介

 

東京オリンピック始まりましたね。

開会式のことや、それ以前にfacebookに投稿した記事もまだ転載できてないけど、
以下、7月31日夕方までの限定公開のブログを、先に紹介します。
メダルラッシュの今、すでに古い話題にも感じられますが、紹介せずにはいられず)
facebookでは、7月24日に紹介しました。
痛みをわかる方々が、貴重なコメントを寄せてくれています。
 
紹介するブログは重厚な内容なので、下の、私の投稿時の補足コメントを読んでもらってから、じっくり目を通してください。
 
 
(ブログ紹介時に私が添えたコメント) 

昨夜お友達から知ったこのブログに衝撃を受けました。
7月31日夕方までの期間限定公開です。
実名でこの記事を公開したライターさんの勇気に共感するし感謝です。
小山田圭吾さんに関する問題は、ネットで散見する批判では小山田さんが完全に悪人だけど、私はその拡散のされ方に疑問がありました。
(自分自身が感じていた小山田さんがそこまで非道に思えなかったので、真実まで掘り下げないままの過剰な批判や拡散、それによって、小山田さんをいじめるような構図になっていたことなど。一次情報に当たらずに書いた新聞記者は言語道断という気持ち)
このブログの中の、問題となっている『Quick Japan』の実際の誌面(95年)のコピー記事を読むと、その記事は、露悪的というよりはむしろ、愛情を持ってまとめられた記事に感じます。
(いじめにまつわる話を披露すること自体がそもそも間違ってもいるけど、ライターも小山田さんも当時悪意に満ちて誌面にしたようには感じられない。むしろ新米ライターへのやさしさで小山田さんが取材に応じた感じで、ゆえに一層「あの時のあの記事がこんなことに」と、担当したライターは言葉を発せずにいると思う)
もちろん、いじめの内容がひどい箇所はひどいし、人によって受け取り方は違うので難しいけど、固定化されてしまった、小山田圭吾=いじめた側、相手=いじめられた側という対立するような関係性ではなく、「仲間」だと感じるし、大人になってから「いじめられた側」とされる沢田くん(仮名)をライターが訪ねた時に、「小山田さんと仲良かったですか?」と質問したら「ウン」と答えてくれてる。
今のように、障害を持つ子ども(←この書き方も難しいけど)と持たない子どもがクラスや学校を分けられて過ごす中では得られない、まさに多様性への理解や学びを、小山田少年は沢田くんたちと接することで肌で感じながら育ったと思う。
*『ロッキングオンジャパン』の該当記事は読めてないので、『Quick Japan』に関しての考察となっていて、その点はすみません。
私もネットで見ていた「沢田くんからのハガキ」も、「笑いものにしてひどい」という印象ではなく、差し込まれたハガキの写真が記事の最後に出てきて、その演出(取材記事を作品とした場合どこに配置するか)からも、悪意を持った記事には感じなかったし、むしろ感動すらした。
そのハガキを大人になっても大切に保存していたことに小山田圭吾の沢田くんへの思いが表れていたと思う。
もちろん、そもそも、実在の人物のことを赤裸々に語ったことやハガキを雑誌に載せたことは良いとは言えないけど、記事に出てくる、沢田くんへのある種の敬意も実感としてわかる。
長いけど、ブログにせずにここに直に書いているのは、この問題に関心がある方にはぜひ読んでもらえたらと思っているからです。
☆何が何でも絶対にダメという方は不快になると思うので読まないでください。
スマホからだと読みにくいので、できれば余裕が持てる時にパソコンからご覧いただくのがオススメです。
☆読みに行かなくても私のココを読むだけでザックリとは伝わる書き方をしています。
該当記事の拡散されていない部分をピックアップすると、
<でもそんなに嫌がってなかったんだけど。
肉体的にいじめてたっていうのは、小学生くらいで、もう中高ぐらいになると、いじめはしないんだけど・・・
どっちかって言うと仲良かったっていう感じで、いじめっていうよりも僕は沢田のファンになっちゃってたから。>
<結構カッコいいんですよ、見方によっては>
恐ろしいのは、今回たいていの方々が信じ込んでしまった『孤立無援のブログ』の抜粋記事は、前後が欠けているので、記事全体のほのぼの感みたいなのが消えている。
*どこがほのぼの?って人はすみません。私は似たようないじめみたいなものが身近な男子の間でなされているのを見たことがあり、行き過ぎている面もあるけど、前後の関係性で言うとやはり「仲間だった」と感じるので。
『孤立無援のブログ』の筆者の方は、小山田圭吾の問題を最近書いたのではなく、2006年から書き続けていて、小山田さんがすごく嫌いなんだと感じる。
これ、誰かからネット上で悪意を向けられた経験がないと実感できないと思うけど、私は自分の小説への感想(明らかに悪意と感じるもの)で傷ついたことがあるので、匿名からの攻撃はキツイし、今回の構造も、悪意の増殖に感じる。
(『孤立無援のブログ』は今日、このブログへの反論記事を書いていて正直恐いです)
私は変に首を突っ込むつもりはないけど、もしよくわからないまま批判に加担した方にはこのブログを読んでもらいたいし、問題に関心がある方は、おおもとの記事を冷静に読んでもらえたら、という気持ちです。
今回紹介するすべての記事に関し、憎しみが根底にあるか、愛情が根底にあるかによって、読み方や書き方が違う気がします・・・
私も気をつけているつもりだけど、「これはひどい!」って思って善意や正義感で拡散しちゃう人いるけど、善意や正義感ほど厄介なものはないです。今はネットどころか新聞記事も間違うことがよくあるので、自分なりに一次情報を確認してからにするか、曖昧な場合は黙っておくか(保護する方向ならまだ良いけど、攻撃に加担する可能性がある場合)だと思います。

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■ご自身もこの問題を熟考し、まとまりのある言葉でまとめてくださった友達のコメントを、許可をいただいてこちらに記録します。
 
<この件、吉田豪さんのTwitterを軸にしてずっと追っています。ラーメンズもずっとファンですし・・・それはまた別のトピックなので触れませんが、オリンピック開会式直前で、こんな風になるなんて。
私自身はフリッパーズの音楽は好きで、サブカル誌も読んでいて、過去の炎上をふわっと知っていたので、「うわぁ、引き受けちゃったんだ……」と感じていたけれど、小山田くん(ファン目線では、やっぱり「くん」)には障害特性への偏見がなく愛と敬意があって、引き受けることが心意気だったと受け止めることもできました。よく知ろうともしないで白黒つけたくないと思いました。
多感な子ども時代に通過した有象無象の出来事をあげつらって、露悪的なエンタテイメント記事として仕立ててよしとされていたことが、つくづく苦しいです。
そして、失敗の許されない世の中で、子どもが間違いを犯さないようにと、緊張と監視が強まっていき、炎上させることがエンタテイメントとして世の中を席巻する、そうした環境の中で育つのが、今の子どもたちです。
情報過多で、人と丁寧に関われず、センセーショナルなトピックを追うことで精一杯になりがちな時代でも、自分の心の通った言葉で深く掘り下げて語れるようでありたいと願います。
そして、小山田くんが社会的に抹殺されませんようにと願います。>
 
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7月27日時点で、「孤立無援のブログ」には、新たな反論記事が出ていますが、その反論の仕方を見ると、筆者ご本人は無自覚かもですが、意地の悪さを感じて恐くなります。
 
そのような、憎悪の連鎖がネットの社会では起こりがちだということを知った上で今後、ネットの情報と向き合わないと(むしろ、向き合わずにかわす)、と思います。

私は何事もできる範囲で真実を知りたいし、そもそも、この件も、真実を知るのは小山田さんと仮名・沢田くんたちや、当時の仲間だけだと思います。
 
私自身も、ネットでの発信について、改めて気をつけたいと思います。