Love the Moment

日原いずみ

オリンピックについて「今」思うこと

 

明日は東京オリンピックの開会式なので、その前に、今思うことを自分の感情や考えの整理のために書いておきます。

今回は、オリンピックを終えた時に思う気持ちも今とは違っていそうなので、今の記録。

まずは、ここ最近の、開会式直前での辞任等々の不祥事のまとめ的な今夜のNHKニュースの記事。

 

www3.nhk.or.jp

 

まずは2,015年に、2020年東京五輪の公式エンブレムをめぐる盗作疑惑問題が起こり、ロゴデザインを撤回、その後、新型コロナウイルスの問題で1年の延期となり、延期後にゴタゴタが噴出したような感じ。

しかしまさか、大会1週間前に二つも大きな辞任が起こるとは、誰も予想していなかったか、予想されていたことなのか。

私は、自分が知らないだけかもだけど、小山田圭吾さんにしても小林賢太郎さんにしても、その二人が大きな立場に就いていたことが今まで伏せられていたことにも疑問を感じる(誰がその役目でも、もう少し早く明らかにされていたら問題への対応も違っただろうに、過去の演出チーム(延期後に解散)はメンバーが明らかになっていたのに、直前で明らかになり、結果、直前で叩かれることになったことにも違和感がある)。

ここまで不祥事が重なって思うことは、

①日本の人権意識の低さ

■多様性を理想としながらも、多様性から遠い社会状況にあるため、目に見えて様々な人種が混ざり合って暮らす国と比べると、子どもの頃から身に付くような他者や違いへの最低限の配慮が養われない。そのことが国際的なイベントで露呈された。

■インターネットの発達により、過去が証拠として残り、隠し切れなくなった(国内の人が気づかないことでも海外の人が指摘できるようになった)。


東京オリンピックがうまくいかなくなるように、日本の地位や信頼のようなものが失墜するように働きかける何らかの力が作用しているのでは?

 

ということです。

②は、陰謀論の部類と言えるでしょうけど、それにしても重なり過ぎ、と思う。

もしかしたら、コロナウイルスだってって疑ってしまう。

 

元々このブログを書きたいと思った時は、小山田さんの問題に触れるつもりだった。

でもその後で、小林さんの問題が判明し、上書きされちゃったようで・・・

 

新たな衝撃に話題が古くなってしまったようだけど、小山田さんについて書かせてもらいます。

小山田圭吾は同時代で知っていて、フリッパーズギターとか渋谷系とかそういう解説は他の方の記事に任せるけど、私にとって彼は、存在を知った時からカッコイイ存在というよりは儚い、か弱い存在に見えた。

なので、最初からアウトサイダーアートを見るような感覚で、彼は、敢えて言葉にするのなら「弱者」だった。

当時、ダウンタウンの歌番組に出てきた時も、「変なやつ」的にいじられていたし、まともな会話を聴いたことも私はなかった。
同時に、自分がテレビのADだった時に、鮮明に憶えているけれど、祐天寺で帽子デザイナーを取材した時に、ショップで流れていた先端的な音楽がコーネリアスだった。(音楽がカッコよかったので、私がその帽子デザイナーにわざわざ聞いて知った)

そのデザイナーはおそらく性的マイノリティの人で、すごく繊細で、番組のディレクターと衝突し、私が彼の気持ちを聞いたりフォローしたりした。ほんの半日接した人だったけど、独創的で傷つきやすいその人が好んでいた音楽が小山田圭吾だった、ということが私に残ったし、私自身もそのCDを買って今も手元にある。

私にとっては、元フリッパーズギター小沢健二は陽の人(陽になり切ってもいないけど、王子と呼ばれていたし)、小山田圭吾は陰の人で、オザケンが太陽でもないけど、彼が金色なら、小山田圭吾は月で銀色の印象だった。

そんなわけで、前々から有名だったらしい、小山田圭吾のいじめる側の話を私は今回の騒動で初めて知り、そもそも饒舌に語るとか、武勇伝的にという姿が想像つかなくて驚いた。当時の『ロッキンオンジャパン』は買ったことないけど、『クイックジャパン』は編集者に会ったこともあるし、特集によっては買ったことがあるので空気感がわかる。しかも、クイックジャパン太田出版と言えば、小山田圭吾の問題の記事(1,995年)と同じ頃に出ていた本が『完全自殺マニュアル』(調べると1,993年7月)で、小山田のインタビューも、その頃のまさに「露悪的」なモードの中で行われたことのように感じる。

これは擁護したくて書いているのではなく、自分自身がその時代を知っているので証言的に・・・

ついでに今、「その頃じゃないかなあ」って思って調べたら、「悪魔ちゃん命名騒動」も、1,993年の8月。私はその頃、大学3年生(1,995年は社会人(AD)1年目)でした。

私は今回、27年前の記事が引っ張り出された小山田圭吾は、本人が悪いにしても、今度は小山田圭吾が大いなるいじめに遭っているようで、全体が残念でならない。

ロッキンオンジャパンも、クイックジャパンも、一部の好きな人が買う雑誌で、当然インターネットでの拡散が行われると思っての内容ではないし、うまく説明できないけど、なんか違う、って思ってしまう。それに私は小山田圭吾よりも、例えば昔のハガキを引っ張り出されたいじめられた側の方だって、今、50代になっているのに、今更昔の自分の文字をネットから見たくないと思うし、騒がれたくないと思う。

上記のように、許されない非道を働いた本人も、もしかして何らかの精神障害を持つ弱者の側だったら・・・と思ってしまうので、単純な話ではないと感じる。

多様性を認めるとか、ゆるし合うって何だろう?って思います。

小山田さんの問題に関しては、いろいろと記事や考察も読んだけど、漫画家の江川達也さんを通して知ったこの動画(初めて知った田端信太郎さん)が、私の気持ちに近いです。

*ちなみに、少し前に書いた私のブログの「東京事変『緑酒』から派生して感じるいろいろ」でも触れた通り、田端さんも当初の演出チーム(野村萬斎MIKIKO椎名林檎等)に期待していたところも同じ。

 

 

youtu.be

 

私は前も書いた通りで、東京五輪の開閉会式については、チームラボと椎名林檎にやってほしかったし、二人とも当時はまんざらでもなかったので、どんどんカッコ悪くなっていく自国開催のイベントがひたすら悲しいです。

 

昨日の投稿より。

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小山田さん担当分だった4分間を必死で埋めた今!だろうけど、4分間を、例えば藤井風くんに出てもらって、日本や世界の現状や、このゴチャゴチャも含めて即興でピアノを弾いてもらっても相当のレベルに仕上げてくれると思う。若くてフレッシュで、心が美しく、自然に世界平和を願うような彼に任せて欲しいと思ってしまう。

その他、今年の夏のポカリスエットのCMだってかっこいいし、椎名林檎の夫の児玉裕一さんだって、音楽、アニメ、映画、歌舞伎界にだって、すぐれたクリエイターがいっぱいいるのになあ~~

そもそも、また戻ると、①なぜ小山田圭吾だったのか ②小山田圭吾の問題を調べていなかったのか という不透明さや任命ミスがぬぐえない。
その辺り(誰がどうやって選出しているのか)が見えてこないことが残念無念。

東京五輪もコロナもどこ吹く風、って感じに、チームラボ代表の猪子さんは、昨日、サンフランシスコ のAsian Art Museumに、現代アートを中心にした新しいパビリオンができたとのことで、そのオープニング展覧会のガラパーティで、文字通り「世界を変えた」面々と<マスクなし>で写真におさまっていた。*猪子さんのfacebookに出ていた名前・・・グーグル社長ピチャイ、ヤフー創業者ジェリーヤン、YouTubeの創業者、Zoomの創業者・・・

それだけのスケール感と能力を持った日本人が確かに日本にいるのに。

また別の、投稿を追っている治療家のKen Yamamotoさんはスペイン~フランスに・・・(今日の投稿のスクリーンショット


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上記の投稿をシェアして添えた私の文章。
<Kenさんを通して、スペインやフランスの今を見せてもらいました。ありがとうございます!!

それらの国からしたら、日本で開催されるオリンピックの不自由さがどんなふうに映るんだろう。見もしないかな(笑)
日本もこうなったらいいし、結局は国民(国民性)にかかってる気がするけどね~>

 

今回、皮肉なことに、ふだんスポーツやオリンピックに興味がない方々もゴタゴタから逆に、「東京オリンピック、俄然観たくなってきた」と言っている。

私も見届けようと思う。

アスリートは、この外野のゴチャゴチャなど関係なく、自分自身に集中してがんばっていただきたいです。

 

私は大学3年生の時、ゼミで「オリンピックの商業主義」と題して発表したり、文章にまとめたりした。スポーツと社会を絡めて書いたオリンピック批判だった。

スポーツが好きで、オリンピックに感動していたからこそ、おかしな方向へそれ以上は行ってほしくなかった。

 

今、子どもたちが、自国開催のオリンピックを純粋に楽しみにできない、誇れないことを残念に、申し訳なく思う。

ネットで散見する声、「1,964年の五輪開催時は日本のすごさを世界に知らせることができたのに、2,021年の今回は、日本のダメさ加減を世界に発信するイベントになってしまった」

「日本はもう、国際的なイベントを仕切れるような国ではない」
同感だし、恥ずかしいし、情けない。

ただ、批判するより、運営する人たちに思いやりを持ちたい。

 

招致の時は反対だったけど、やるとなったら成功してほしいと思いながら来た。

出場する選手にも、大会運営側にも、競技のコーチ陣の中にも直接の知り合いが複数います。

 

ここまで迫っての(本番での)国内での反対運動は、お客様を家に呼んでおいて、家族ゲンカや夫婦げんかをして、「私は来てほしいとは思ってなかったのに!」とお客様にも知らせてしまう行為に感じてしまう。

内のおかしさを、外に知ってもらいたい、外から指摘してもらいたい、という気持ちもよくわかるけれど、原点にかえり、アスリートファーストで、って本当に思う。


この暑い気候の中でのオリンピック。
想像と現実の乖離。想像通り、想像以上の暑さ。
泣いても笑っても時は経つわけで、安全に行われることを祈っています。