Love the Moment

日原いずみ

親の七光りについて思うこと /『PARAISO』


朝6時半に、静岡に帰る長男を豊橋駅まで送った。
(長男は2限の授業までに帰りたくて、私は7時には家に戻って次男のお弁当を作りたくて)

いろいろ持って帰る中に、私が長男を産んだ時に、大学時代の先輩が夫にプレゼントしてくれたネクタイを入れていた。

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これ、知ってる人が見たら、その人の趣味っぽいので書くと、TBSアナウンサーの土井さんからの贈り物です。

当時、出産祝いをたくさんの方からいただき、土井さんは「赤ちゃんにもお母さんにもたくさん届くだろうから、お父さんに(笑)」と気をつかってくださった。

ところが夫は柔軟性がなくてネクタイの好みもハッキリしているというよりは、当時、ブルックスブラザーズ一択みたいな人だったために使用しないまま(←私としては土井さんに申し訳なかった)、大事に保管していたものが、子どもの成長により、長男本人が「欲しい!!」となったのだ。結果的には夫が使わなくて良かった気がする(笑)

長男はふだんはダラダラだらしないくせに、彼なりのトラッドな服装に目覚めていて、ジャケットやネクタイに興味を持っている。


ちなみに、このネクタイをいただいた頃の私と長男の写真・・・

 

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*ちょうど今、首の嚢胞の体験記を書いているため、この写真は「首が腫れてなかった時代」の写真として引っ張り出していた。

昨日の投稿(ブログは前の記事参照)にはたくさんの方々から「いいね」をいただき、ありがとうございました。うれしかったコメントを記録。

豊橋出身で東京在住の建築家の髙木くんより・・・

<エネルギーがあれば打席に沢山立てる。長男くんがんばれ〜
人生は打率じゃないからね>

この、「人生は打率じゃないからね」に長男も共感&感激。
確かに長男は、さまざまな種類の打席に立っている。その数は誰にも負けてないと思う。

ネクタイにしても、私の友人からのこのコメントにしても、長男は私の人脈や私自身から確かに恩恵を受けていて、ただ、親になってみれば私が与えられるものは何でも与えたいって思う。金銭的には裕福ではないので、金や物はあげられないけど、人脈や知恵などは・・・

自分自身が大学生の時は、親の七光りを受けているように感じられる友達や学生たちがうらやましかった。
私はマスコミに興味があったけど、東京では親のコネなんて何もないし、自分でつかむしかなかった。実際には自分でいろいろつかめたけど(*就職のためにではなく、自然な出会いの中で)、親が〇〇庁長官とか、親が有名事件を担当した検事だとか、親が大金持ちとか、親がスポンサー会社の重役とか、実際に七光りを受けられるかどうかは別としても、受けられそうな同世代たちが周囲にいたので、自分はその点については無力だと実感していた。

でも、いざ自分が親になると、七光りって当然だよなあと思う。子に独自の力あってこその七光りだけど、子孫の幸せや繁栄のためなら、誰だって協力したいと思うわけで・・・ 自分が努力して得てきた何かが子どもの役に立つことほどうれしいことはない。甘やかすとも違って、継承するとか、世代を超えて友情がつながっていくような、うれしい気持ち。

と、そんなことを思いながらの午後、長男からLINEが届き、「経営組織論」という授業のレポートで、2回連続A判定で、それは、2月にお会いした西川さんのおかげだと。

西川さんとは、地元在住の経営人事コンサルタントの西川幸孝さんのことで、さまざまな会社の要職を務め、著書も多数の、まさにオピニオンリーダー的な存在。私が昨年知り合い、政治や文学や芸術の話から結束を深め、長男に西川さんのご本や存在を紹介したら、お会いしてみたい!となり、2月の半ばにお時間をいただき、会社に訪問させていただいたのだ。

長男が読んだ本。

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西川さんに長男からのお礼の言葉を転送しました。
その中にあったコメント・・・


<西川さんの本を読ませていただき、実際にお会いしてお話を聞かせていただいたおかげもあり、「経営組織論」のレポートでは毎回1番上の評価をもらっており、全体にも紹介されています。2月は貴重なお時間をありがとうございました>

<会社は会社というものではなく、人の集まり。そんなことを『小さくても「人」が集まる会社』で学びました>

長男のLINEを西川さんに転送したところ、西川さんからとても温かいご返事をいただきました。
長男も私も感激!!

無垢な大学生だからこそ、浸透する社会人(スペシャリスト)の言葉があり、長男が、出会う本や人からぐんぐんいろいろを吸収している様子がわかり、親としても、一人の若者を見る身としてもうれしい気持ちになります。

 

夢が持ちにくいこのご時勢において、長男はやりたいことがたくさんあり、頼もしいなあと思う。

高校時代に弁当づくりと調理のバイトを3年間がんばり、生徒会長も2期務め、自分で貯めたお金でアメリカに行き、選考に受かって中国にも派遣され、いつも楽しそうだったけど、同時に苦労もしていた。その体験も生きていると思う。

決して金銭的に恵まれているわけじゃないので、その分、自分で買った本や教材を大切に読み(西川さんの本は私が買って、私がまだ途中だったのを静岡に持って行っちゃったんだけどw)、自分で得たり、人様からいただける知識や知恵をとても大切にしている様子がわかる。

<長男ばかり触れると気になってしまうけど、次男は地道に勉強や部活をがんばっています>

子どもたちを見守り、応援してくださるみなさまに感謝です。

****************

 

さて、ここまでですでに長いけど、今日発見しておもしろかった記事を下に添付。

*記事が長いので、以下、良かったら別の日に読んでください。

まず、先週、おもしろかったみかちゃんのおうちでの写真を再度見ていた時に、
この後ろにあるのは、細野晴臣さんの「PARAISO」ではないか、と思った。

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1978年発売のアルバムの、このジャケットが好きな人たちはとても多く、私も大好きで(アルバムをしっかり聴いたことはないんだけど)、デザインは誰なんだろう?横尾忠則に似てるなあと思って調べてみた。

 

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そしたら、横尾忠則ではないんだけど、横尾忠則さん本人も「自分のデザインと似てるなあ」と思ったエピソードがいくつか出てきた。*結局誰のデザインかはわからず(笑)

そんな記事の一つで、この座談会がとってもおもしろかった。

www.1101.com


私がとても共感したり、いいなあと思った部分を抜粋させてもらいます。

細野
たぶん音楽が、好きすぎました。
策略とかそういうことも考えずに、
ただ、ほんとうに音楽が好きでね。

*********

細野
だから、雨が好きになって、
野球が嫌いになったんです。
ある日、野球の仲間に入れなかったぼくが
自転車に乗って走ってたら
みんなの球が転がってきたことがあって、
そのボールを拾えなかった。
すると「おめぇ、なんで拾わねぇんだよ」って
クラブやミットで、バーンって殴られたりして、
それでますます嫌いになった。

*************

細野
糸井さんにとって、
「言葉」というのはどうなんですか?
遊び道具じゃないの?

糸井
言葉には機能が入ってるんですよ。
詩でも小説でもコピーでも、
言葉を使っている人は、どこかのところで
泥んこになれない気がします。

*********

横尾
あのね、言葉を解放すると時間がなくなると
言ったけれども、
時間はすごく問題なんですよ。
時間でものを測ったり、
体験や記憶を時間に置き換えると
ぼくはだめだと思うんですね。

糸井
というと?

横尾
時間よりも、むしろ
何を何回やったかという「回数」のほうが、
大事なんです。

*********

糸井
時間というものを
人が例える「愛」みたいな言葉で言うとすれば、
回数というのは「親しさ」ですね。

横尾
あぁ、なるほどね。

糸井
お店とお客さんの関係でも、
愛情はないけど、
何回も買い物に来る人って、親しさが出ますよね。
例えば横尾さんと細野さんとぼくが
どんなに愛を感じているかよりも、
会う回数を重ねたというほうが、
人間の関係としては健康的な感じがします。

細野
なんか心地いいなぁ。

***********

横尾
うん。
音楽もそうだし、絵もそうなんだけれども、
あれは自分の中の、
不透明なものって言ったらいいのかな、
そういういかがわしいものを
絵を通して吐き出すわけですよね。
絵の画面に具体的に吐き出すんじゃなくて、
「描く」っていう行為ね、
行為がそういったものを吐き出してるわけだからね。
だから、言ってみれば絵なんてほんとうに
恥をさらしてるわけです。

細野
それって、エロティシズムに通じますね。

糸井
通じるね。

************

横尾
まぁ、貯金通帳をさらけ出すとかさ、
そんなことはしないけどね(笑)。
自分にとって気がかりなものというのはね、
なるべく吐き出して、できるだけ
軽くならなきゃだめなんですよ。
重いのは、よくないと思う。

横尾
この世の中に来た理由はそれですよ。
動くために、遊ぶために生まれてきてるから、
できるだけ軽く遊びたいということしか
ないんじゃないかな。
だから、ぼくの絵は重いでしょう?
あの重さはぼくの中にある重さです。
それを出していくんです。

 

***********

毎度ながら長いけど、少し前にお友達を通して知った、ある武術家のインタビューの中に、「人間は教育すると弱くなる」というのがあった。

それは、例えばハワイにいる、ケンカが強いような人物をスカウトして、何かの競技をやらせると、四角いリングやルールができた途端、その人が弱くなってしまう例をたくさん見てきての印象。

これ、長男の育児でも感じたことで、私が続けている『自己肯定感をはぐくむ子育て』にも通じる。


昨日、試験を受けに行く長男を送る朝、高校時代のいくつかの資格試験もそうだったように(高校時代はひどくて、朝、電卓がない!(学校に忘れた)とか、柔道の試合に帯がなくて友達に借りてから試験(大会)会場へ向かっていた)、朝、筆記用具を用意したり、高校入試もそうだったように、時計すら持っていなかった。

 

時計を持たずに試験を受けるというのは私には理解できないのだけど、長男みたいなタイプは、もしかしたら時計を持たせて時間というプレッシャーを与えたら、試験の点数が悪くなるのかもしれない・・・


私がのびのびを心がけて育ててきたくせに、想像以上に型破りに育った長男からは驚かされることが多い。

<ちなみに、次男の方が幼少期は破天荒だったのに、今は真面目に勉強するタイプになった。優等生とは違うんだけど・・・>

 

とにかく、兄弟とも、何になるかはわからないけれど、上記の大物3人の座談会も、子育てのヒントになる言葉がいっぱいある。

バランスいい、人に配慮するような糸井さんより、バランスがいいわけじゃないけど、泥んこ遊びを大人になっても続けているような横尾さんや細野さんの生き方はおもしろいわけで、やはり、親や大人が子どもを型にはめずに、その子の生きたいように、サポートするのがいいんじゃないかなあと、過去の育児の結果(みたいなもの)が少しずつ出つつある今、私は漠然とだけど「良かったなあ」って思っています。