Love the Moment

日原いずみ

芝田さんのお通夜

 

12月25日

 

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🌟途切れ途切れに書き足して、ど長いです。

お通夜参列のために、昼から東京へ(今は帰りの新幹線。今回もグリーン車往復&お土産券付パック。普通の往復より安い)。

いいお天気で、富士さんと一緒に写真を撮りたくなったけど、なかなか難しく(笑)

新宿育ちの芝田さんらしい、区民センターを会場とし、お焼香なし、白いカーネーション献花の、温かい会でした。狭い会場で、私は早く到着したので座れたけど、振り返ると大行列でした。
赤川次郎やら見城徹等々のお花に加えて、早稲田大学総長のお名前も。2014年から文学部で非常勤講師を務めていらしたのでした。

東京の服装や作法みたいなのがわからないまま、知り合いなしで参列しましたが、お会いできたらいいなあと思っていた、梁石日さん夫妻とはお話できた。

梁さんは車椅子で、23年前に一緒にカラオケをしたこともあった奥さんが介助していた。

くどいほどに偶然が多い私の人生で、テレビのADを辞める直前に関わったNHKBSの番組で韓国のお祭りを旅したのが、映画「月はどっちに出ている」の原作者と呼ばれていた頃の梁さん。
その後、梁さんは『血と骨』で山本周五郎賞(直木賞候補)。映画化もされ、その担当編集者が芝田さんだった。

そのまた後に、私は芝田さんに見出してもらい(梁さんの話で盛り上がり)、『赤土に咲くダリア』を刊行し、芝田さんのすすめで、家庭を気にせず思いきり表現できるようにと、日原いずみというペンネームを付けた。
思い浮かばなかったから、処女作『チョコレート色のほおずき』の主人公の名前(笑)

アウトロー作家をたくさん担当してきた芝田さんの何かにヒットした私なわけだけど、お互いに家庭に関しては保守的というか、芝田さんは私にずっと、ふつうの感覚を持つ大切さを教えてくれた気がする。
その証拠でもあるような、奥さんや息子さん、娘さん、一見してとてもいい人たち、心根の美しい人たちだとわかったし、お話できて良かった。

作家の木戸次郎さん(株式評論家)のお別れの言葉も素晴らしかった。

〈悪だくみを鮮やかに〉

〈本だけではなく、人生を編集してくれた〉

などなど、私も大いにうなずくフレーズばかりで、涙が出た。

喪主の奥さんのお言葉も、芝田さんを具体的に表すエピソードがおもしろくて、女性の喪主はメモなしで話せない人も多いのに、フリートークが的確で、故人への愛やみなさまへの感謝にあふれて素晴らしかった。

やはり出向いて良かった。

一年前、私には「著者近影」と送ってくれた写真が遺影に。
ご自分で準備した遺影とのこと。
最初にガンとわかった時に、遺影も意識して撮ったのかな。

無名の私は、荷物になるとは思ったけど、本を持って行ったおかげで、ご家族にもわかってもらえて良かったな💛

最後の写真は八重洲の地下街で、何軒か見て、ココと思った鳥元という居酒屋の焼鳥重。
食材や環境にこだわっていて、めっちゃ美味しかった。ビールが飲みたかったけど、豊橋駅から車なので、愛媛の完熟オレンジジュース。
今は別の店で買ったアップルナッツシフォンを食べててこれも当たり(笑)

今日は朝から家事や子どもの予定をこなしたりで、無事に東京に着けるのか心配で、あまり食べられず、東京に着いてからお腹が空いて、ようやくさっきしっかり食べた。

芝田さんとも美味しいもの、いっぱい食べたなあ〜
東京で、名古屋で、豊橋で。
豊橋は「おやぢの台所」にお連れして、昼から飲んでもらいました。お料理に大満足してました

会場ではそこまで泣かなかったけど、一人になったら、「あーあ、死んじゃったんだなあ」と悲しくて、涙を流しながらトボトボ歩いたけど(初の大江戸線)、美味しいもの食べて復活。

出会えて良かったな。
愉快な人だった‼️

小説は、書いたことある人にはわかってもらえるけど、他では得られない魅力や魔力がある。
今日初めて話したある年上の作家の方も「またがんばって書いてます」と言っていた。

私は今は育児の仕上げが大事だけど、また書きたいな。待っててくれた芝田さんがいないのは寂しいけど、またいつか‼️