Love the Moment

日原いずみ

続・ピエール瀧から、20年前のアラーキーinフランクフルトの話

 

お友達から知った記事。
薬物の問題だけじゃない、今の日本の状態がわかるなあと思ってシェア。

 

lite-ra.com

 

一部抜粋。

〈彼らは「一度お上が決めたことは絶対に守らなければならない」「“なぜ守らなければならないのか”なんて考える必要はない。ただ命令されたから守らねばならないのだ」という考えが固着した奴隷だからだ。

 今回のピエール瀧報道は、メディアに違法薬物に関する建設的な議論が進むための基本的な知識すらないということを改めて示したと同時に、閉塞した現在の社会状況ではそもそも他国のケースと引き比べて現行の法整備に疑問をもつということすらないという絶望的な結果を浮き彫りにした。

 言うまでもなく、こういった状況は違法薬物に関する議論だけではなく、他の社会事象を議論する際にも共通する由々しき問題である。〉

 

この記事を読んで思い出したのは、20年前にフランクフルトの現代美術館で、写真家のアラーキーの大きな展覧会がたまたま行われていた時のこと(アラーキーも去年、問題を訴えられたけどそれとは切り離しての話)。

着物でエロの世界全開で、私はその時のヨーロッパ滞在でフランスでもいくつか同様の映画や作品に出会っていたから、日本のカルチャーの歪んだ伝わり方を感じて心配にもなったんだけど、つまり、日本ではボカシが入る部分が無修正で、私は無修正で良いと思ってるけど、妙に肥大化して(局部の意味じゃなく、そういう形態のアートや映画、わかりやすく言えば「愛のコリーダ」は日本よりフランスで有名だった)過剰に取り上げられてると思った。

で、そのフランクフルトの美術館で、高校生くらいの学生と先生が車座になってディスカッションしていたので混ぜてもらったんだけど、その時の彼らの疑問は、
「日本は、とても進んだ国なのに、他のアジアの国のように、今も局部を隠すことが不思議」みたいなことだった。
日本の奥ゆかしい美とも言えるし、思考停止ともタブーとも言える。

わいせつか芸術か、という議論は日本でもずっとされてきてるけど、この記事を読んで、私は過去に出たCDの回収まではやらなくて良いと思うので、20年前にドイツの高校生にも指摘されたような日本のちぐはぐぶりを改めて感じて、寂しいなあと思ってます。

 

☆コメントのやりとりからの追記

確かに、被害者というのは逆に振れ過ぎだし、違和感。

麻薬の問題は、お金の行き先や、二次的な事件や事故につながるので、絶対に取り締まらなくてはならないけど、私が書きたかったのは、思想みたいな面なので、その辺りをご理解ください。