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日原いずみ

高校女子駅伝について・・・

www3.nhk.or.jp

 

午後からの、男子の全国高校駅伝に知り合いの息子さんが出るので、久々に午前の女子の駅伝も見ていたけど、なんかもう、いろいろ感じて、見続けられなくてやめてしまった。

スポーツ、陸上関係、選手にも指導者にもマスコミにもリアルな知り合いがたくさんいるし、情報も多過ぎて書かずにきたけど、最近のわかりやすい問題として、昨日のNHKニュースの記事を添付。

私は過去、中学高校と陸上の800Mを主にやっていて、県大会出場程度だったけど(東三河で2位とか3位)、楽しく一生懸命に走っていた時期があったし、全国レベルの大会や選手に憧れた時期もあった。

女子駅伝は平成元年に始まったそうだが、まさに私の高校時代。
それまで全国的な駅伝として自分が見ていたものとして、男子の高校駅伝と、女子の都道府県駅伝があったけど、女子の高校駅伝はなかった。

ないにはない理由があったはず、という原点について今書きたい。

私の中学時代は、女子のトラックの長距離種目と言えば800Mしかなかった。ジュニアオリンピックでは1500Mがあったけど、3000Mはなく、駅伝も今ほど盛んではなかった(駅伝では、中3の時に初めて県大会に行けて、大会がクリスマスで、そこまで走って、その後受験勉強へ移行・・・)。

オリンピックで女子のマラソンが正式に採用されたのは、1984年のロサンゼルスオリンピックからで、それまで女子は保護されていたわけで、かつては中学生の主要大会の長距離種目が800Mしかなかったのも、保護の意味合いが強かったと思う。800もじゅうぶん過酷だけど(笑)

というわけで、鉄剤がどうとかいうよりも、大会が必要なのか、ってことを見直せばいいのにと思ってしまう。
ここまで大きなものになってしまった以上はなくならないけど、日本って、狭い国土やコミュニティーの中で、競争が多過ぎるとよく思う。
女子の場合、思春期に過酷な練習で生理が止まったり、その状態で走り続けてやがて疲労骨折につながったり、いずれ母体にもなりうる女子の身体の酷使について、心身がまだ安定してない頃に「必死に走る」に突入してしまう構造の問題というか・・・

昔、男子の高校駅伝はクリスマス頃の風物詩として見ていたし(男子については、生理がないし、力強さを力強さとして受け取れる)、1月の都道府県女子駅伝は友達が愛知県の合宿にも選ばれていて身近で、必死な競争より、中学生から社会人選手の触れ合いにほのぼのとしたものがあった。

女子の高校駅伝は30回目なのに、ずっと入り込めなくて、その理由はこういうことなのかなあ(力強さや必死さが本人たちには余計なお世話であろうとも、客観的に心配になる)って書きながら思っています。


*中学時代からリアルに知っていて現在日本のトップにいる鈴木亜由子ちゃんや清田真央ちゃんは高校駅伝では全国大会に出ていないです
(進学の時点で引く手あまたの中、駅伝強豪校は選択しなかった)。


*この投稿は、特定の高校の批判では決してなくて、全体の話、自分も陸上をやっていた身としての話です。


*留学生の話まで含めるとキリがなくなるね。