Love the Moment

日原いずみ

『赤土に咲くダリア』 社本さんの感想

 

facebookでシェアするつもりが、二つの記事になっているためうまくできなかったので、ブログ上で整理&記録します。

 

敬愛する社本さんの、『赤土に咲くダリア』の感想。
社本さんは美術のお方で、ふだんの温かな雰囲気(私にとっては)と同時に、鋭くて厳しいひとだと思うから、このような感想をいただけて泣いた。

良かったら、コメント欄の私のマニアックな作品解説(一部)もご覧ください。

実話をベースに創作するので、まるっきりその時の気分や感覚でつくり出した名前や人物設定やストーリーがあるわけで、執筆時の感性でしかありえず、同じものは二度と書けない。

特に女は変化が激しい。

それでも、年代や時代を超えるものにはしたかった。

出版から11年経つと、まだその小説にしがみついてるのか?みたいな気恥ずかしさがあり、全くしがみついてなくて意識や体験は次の次の次のステージくらいに行ってるけど、あの頃でしか感じられない、あの頃でしか書けない内容を単行本として残せて良かったです。


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社本さんのfacebook 11月29日の投稿より

 

【赤土に咲くダリア】

やっと読了。
読んだ人は誰しも終盤に登場する音楽家の存在が引っかかると思う。主人公・時枝の自由さ奔放さと読めるし、人によっては…いや、ある種の男によっては時枝への質草として取るだろう。音楽家は時枝の夢想だとも読める。

文学のこととか小説の作法とかはよくわからないけれど、ともかくこの音楽家の存在がなければ物語としては成立しないんじゃないだろうか。

「母親の神格化」だとか「女性は皆シャーマン」といったおかしな方向に読者が向かうことを構造的に回避させていると思う。それによって読者はこれを「人間の物語」として読むことが出来る。…男女差別が云々と言う前に、人間それぞれは身体の成り立ちが違うということ、所持する臓器が違うということ、ゆえに人それぞれ見える世界が違い思考が違うという当たり前かもしれない地点に読者を立たせてくれる。...

男児を妊娠中の時枝が「わたしの中におちんちんがある。」と述懐するところに深い感銘を受けた。それはまさに命の連鎖であり時枝にとってはイグアスの滝に連なるのかもしれないが、妊娠を経験したことのない読者もその感動に寄り添えるのは小説の組み立て方のおかげではないか。

拙者としては中盤に時枝の夫・矢野に共鳴してしまい一旦読書が出来なくなってしまった。拙者の場合そのトラウマは親というより自分を取り巻く地区そのものだった。そのことを自覚できたのも、怒りを爆発させてしまうことが「相手・敵」の思う壺だと知ったのもつい最近のことだ。そして知ってもなお感情が吹き出してしまうことがある。そんな中断からもう一度読書に引き戻してくれたのも、この小説の組み立ての強さであり魅力だと思う。

ネタバレになりそうな気がするから詳しくは書かないけれど、もう一つ大きく印象に残っている箇所がある。それは時枝の母親についての記述で血と赤土についての描写。赤土・赤埴・赤羽根はこのところ拙者がずっと拘っているキーワードでもある。「赤土に咲くダリア」が読みたいと思ったきっかけでもある。

「死ねば人は土に還る。」とよく言うが、そうかそれは死の一点を境に土に還るわけではなく生きながら常に土に還り、そして蘇っているんだと思い知らされた。

 

 

【11月23日投稿より】

 

日原いずみさんの「赤土に咲くダリア」、書店ではもう買えない小説のタイトルが急に気になって、読みたい! と切望してたら、作家本人から貸して頂くという稀遇に恵まれた。
主人公・時枝が出産の「熾烈な痛み」を楽しむかのような観察するかのような中盤までは一気に読めてしまった。…これを読んでいれば拙者は結婚に失敗しなかったかもしれん…と、思った。と、同時に、こう書くときっと爆笑する人が居るんだろうと思う。面と向かって爆笑されれば拙者、その人に殴りかかるかもしれない。
小説の後半では時枝の夫・矢野のトラウマにスポットが当てられる。そこに拙者は共鳴してしまった。(共感ではなく物理的な共鳴)
結構、まともに胃にダメージを受け、今読書を中断してる。(読書感想は読み終わってから書けよ、という声が聞こえる。笑)
今、本の帯に書かれた推薦文を読んだら「女性の普遍的物語」というようなことが書かれてる。…いや、いや、いや、これは人間の普遍的物語だ。

 

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<29日の社本さんの投稿への私のコメント>

 

勢いだけで書いたような、稚拙さもたっぷりの小説に、素晴らしい感想をありがとうございます。

シェアと、私のブログへの転載をしてもいいですか?

人にも読んでもらいたいというよりは、自分が社本さんの感想を保存したいので、シェアやブログは控えた方が良ければそうするので教えてください。

自分はもちろん(主人公の名前を時枝にしたのは、ベーシストTOKIEの響きからもらったけど、作中に書いた、夫が自分の名前を実体験でも、「おまさ」と呼ぶようになったため(今はそれすら呼ばない)「お」を付けた時に古風になる名前にしたかったのです。「おとき」は、加藤登紀子のイメージもあるかも(笑)
ついでに言えば、及川という名字はテレビの仕事を辞めた頃に一度だけ会った女性、チョコレート色のほおずきの主人公でダリアからペンネームにした日原いずみの日原は一度だけ会った彫刻家、いずみはふるさと泉校区)、
カッコ部分がえらい長くなりましたが、音楽家にもモデルはいるけど、実際にはチェリストの知り合いはいないです(笑)

編集者からの依頼が「大地に根ざしたエロス」で、全編にわたり、土のにおいや植物の生命力をただよわせたかった。

母の畑に母乳を、の話は本当。

美術やら渥美半島につながりが深い社本さんだからこそ、他の誰とも違う読書体験をしてもらえた気がします。

みなさんの何かを刺激して、はからずも自分の奥底を語りたくなる小説のようです。

本当にありがとうございました!!
またそのうち、がんばります!

<さらに追記>


あと、主人公が奔放なトーンなのは、自分もそうではあるけど、ワガママな女を主人公にしたかった。

20代で影響された、70年代の「もう頬づえはつかない」と、90年代の「グレープフルーツ」の、どちらも誰の子を妊娠したかわからない場面が出てくるような、そういう女の要素を盛り込みたかった。

その意味では、それらの、独身や20代特有の女の刹那からは卒業したので、今は絶対に書けない。

同時に、今しか書けない感性もあるから、また(断片はあるので)まとめたいです。

チョコレート色のほおずきはまだ初々しいはず(笑)

内診台に抵抗を感じる感性の記録。


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最後に補足しておくと、社本さんは、映画監督の園子温さんと高校時代の同級生で、今も仲良しで、私は園監督の『冷たい熱帯魚』で、主人公の名前の「社本」を先に知っていました。その前後くらいで、社本さんの存在を知ったため、「園監督は同級生の社本さんから名前をもらったのかなあ~」と思っていました。

たまたま上にも書いてるけど、登場人物の名前は重要で、よく考える場合と直感とあると思うけど、吹越満が演じた「社本」(お名前の響きやインパクト)は当たっていたと思う。

その後、私が主催した、巨石写真家の須田郡司さんのお話会に社本さんが来てくださり(今思うと、東三河の不思議系の要人が集結していたw)、最初の会話でも『冷たい熱帯魚』の話題を出しました。


そんなご縁!

てなわけで、『冷たい熱帯魚』と『赤土に咲くダリア』のパッケージの画像を載せておきます。
内容は全く違うけど、私にとっては通じるものがあります。

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社本さん、ありがとう!!