Love the Moment

日原いずみ

終戦記念日

 

【転載してない記事もたくさんあるけど、今日のうちに】

 

終戦記念日にあたり、強まってきた雨の音の中、改憲について考えてみる。
とてもデリケートな問題だし、私は詳しくないので今書ける範囲で思うこと。

たまたまさっき山尾志桜里さんの終戦の日に寄せた投稿を読み、元検察官で、当然法律に詳しい彼女が、叩かれても再び倉持弁護士と組んでいることに強い意志や使命を感じてきたので(そんなことは本人書いてないです)、山尾さんと倉持さんの、ネットで読める範囲の改憲(いわゆる立憲的改憲)について考えてみた。

正直よくわからない。うまく理解ができない。
だから彼女らの言説に賛成して書いているわけでない。
ただ、もっとみんなで考えたいと思って書いてます。

とりあえず私は、今の自民党改憲には反対。
だけど前から改憲そのものには反対ではない。
なぜなら、憲法は第9条だけではなく、例えば婚姻の部分など、私はもっと広げてもいいと思うので。

賛成か反対の対立は、どちらサイドも思考停止に感じてしまう。

こういう問題を書くとまた傷つくようなコメントが入るのであらかじめお断りしますが、
なぜ今書きたくなったかと言えば、山尾さんの投稿には必ず男性からとても意地悪なコメントが入り、なぜこんなにも彼女は嫌がらせを受けなければならないのか、とずっと思っていたから。

改憲から話はズレます。

進むものも進まなくなるような執拗な嫌がらせをしているのはたいてい男性で、たいてい顔写真がない。
そんなものはスルーしているんだろうけど、私は見るたびに腹が立つし悲しくなる。

山尾さんに私はあまり問題を感じてなくて(私が無知なのかもしれませんが)、問題があるにしても、彼女みたいな意志の強い女性議員にはがんばって欲しいというか(三原じゅん子杉田水脈みたいな意志の強さはキライ)、議論をもっと正々堂々とできる国になって欲しい。

憲法の議論ができるだけの成熟がこの国にまだないとしたらその方が問題で、決定的な結論に進む前に(思考停止の人たちは、例えば国民投票になると、どっちかにただ流されてしまうので)、どうしたらみんなでもっと考えられるようになるか、ぼんやり考え中。

今、長男とも憲法改正についてどう思うか、私の考えに誘導しないように彼の意見を聞いている。
長男は中学時代から法律が好きで、お年玉で買った「実用六法」を持っている(笑)

彼が気になるのは安楽死の問題らしい。

安楽死についても、以前落合陽一と古市憲寿の対談が大バッシングにあっていたけど、私は賛同できなくてもすべてをつぶすようなバッシングには反対だった。

とにかくもっと、いろいろな意見や発言(特に若い世代)に寛容にならないと、国民同士でつぶし合ったり、一層不自由になったりするので、新しい意見や改革が生まれるためにも、まずは議論できる土壌が、世の中の土がふくよかになって欲しい。


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記録しておきたいコメントを二つ。

 

<私は小学生低学年からの改憲論者です。全勢力にとって現段階でとても大事なことは、9条の、安倍改憲試案に反対なのか、自民党案に反対なのか?です。野党勢力が安倍政治(もしくは安倍首相そのもの)に反対なのはよくわかります。では9条に関しては安倍試案、自民党案のどちらに与するのか、もしくは9条の文言には一切手を付けないのか、さらに違う試案があるのか?よくわかりません。立党以来の自民党内の改憲勢力からすれば安倍試案は受け入れがたいはずで、法曹界にも反対はあるはず。むしろもし9条に何らかのメスを入れるのであれば、野党勢力が提示するくらいの内容です、安倍試案って。安倍政権下では改憲議論をしないとしているはずの野党勢力ですが、もし仮にこの安倍試案が国会内で議論されれば、改憲勢力と言われている現在の集団から左右両翼においてかなりの人数が反対に回るはず。一方、野党勢力においても相当数が賛成に回るはずです。そして議論が活発に行われ、そのうえで2/3を維持するのかどうか、国権の最高機関の議論と憲法学者の解釈を聞いてみたいと思っています。また、9条以外の比較的国会内の議論が容易と思われるところから改憲すべしという意見もあるようですが、9条は「国の在り方」を定める条文でもあり、ここを避けるべきではないと思います。こう書くと「右」のレッテルを張られそうですが、私はバリバリの反戦論者で、死刑には絶対の反対論者です。そもそも人間も、政治も「右と左」なんていう風にステレオタイプに分類されるものではない…そう思います。>

 

山尾志桜里代議士の名を聞くと、彼女ご自身が政治家を志したキッカケの1つとして、2006年愛知県岡崎市で発生した女性ホームレス殺人事件を取り上げられた事を思い出します。

『なぜ60歳を過ぎた女性がホームレスにならなければならなかったのか。
なぜ少年たちが人の命を奪うことになったのか。
こうなる前に家族や社会が食い止めることはできなかったのか。
この事件は私が政治家になるひとつの原点でもあります。』

山尾志桜里代議士はこれまでにご自身の政治活動で脚光を浴びることがあったり、ご自身の事務所運営やプライベートの件で支持者やアンチとわずバッシングや心無い誹謗中傷にいろいろと晒されることもある政治家ではありますが、今でも政治家を志した初心を山尾志桜里代議士ご本人がお忘れでなければ、いろんな嫌なことがあったとしても頑張って戦い抜いて欲しい政治家だと思いますね。
山尾志桜里代議士という人間は何の為に存在しているのか?
個人的には『社会正義の実現』の為に必要な政治家のひとりだと思っています。

 

 

 

 

 

 

長男の初サーフィンのこと

 

 もはやてんやわんや過ぎて、転載も大幅に遅れています。

これは、8月4日投稿分 

 

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【似たようなお子さんをお持ちの友達と励まし合う夏休みの投稿】

 

昨年の今頃、中国からの帰り、深夜に豊橋駅に着き、携帯のバッテリー切れもあり、私に連絡とれず、駅からスーツケースを転がしながらビーサンで歩いて帰ってきて、玄関の前で寝て蚊に刺された長男・・・(必要と言われ、中国に持って行ったウナコーワを滞在中は使わず、日本の自分の家で初めて使ったオチ)

 

今年は受験だとかAO挑戦だとか書いたけど、親が制しても遊びやバイトをやめない(本人は配分的に大丈夫と思ってるんだろうけど)。

その一部を表すLINEのやりとり。
今朝、長男はバイト先の大学生やかわいがってくれた元社員さんたちとサーフィンに行った。5時に起きて!!
(私が起きたらもういなかったし、止められないなあと実感)

今日は9時半から生徒会長として学校外の大事なイベントに出なければならないのに、その前に初めてのサーフィン(大学生(←簿記を教えた)が時間までに送ってくれる。たぶん車の中で制服に着替える)。

LINE①は、今日がサーフィンの日かと思ったら、前日も見に行く(結局はナシになった)と書いてきた時のやりとり。

②は、昨夜、彼女と岡崎の花火を観に行った帰りのやりとり。
彼女の家は自分と違う校区で少し遠いのに、ちゃんと送っていったところ(やはりビーサン)は感心した。

そして今朝の③
母はとにかく命の無事を願う。

サーフボードの写真は長男撮影。

で、オチとしては、さっき制服姿で海パン類抱え、一度帰ってきた(これを書いてる途中で帰ってきたので、文章一部おかしいです)。
私が念押ししたのに、靴を忘れたので(笑)

さすがに制服にビーサンはまずいと思ったようだ。
もしもそのまま参加したなら、神妙そうな会に、砂まみれの海パン持参だった。

私も海外で一人旅とかしてたので、親に心配かけたけど長男が書く通りで「蛙の子は蛙」😅

ただ、私自身と違うのは、男に生まれた体力。
一応私は女子だったので、エネルギー配分を考えて過ごしたけど(後からこの予定があるから先にこれを入れるのはやめる、とか)、長男は平気でいろいろ詰める。
昨日も花火の前までバイトで、さらにその前に海に行こうとしていたわけで。

こちらは老いていくので一層慎重になる中、エネルギーが増大していく男子の眩しさについていけない。
とにかく、親子とも命を大切に、うちみたいなスットンキョーな例はそんなにないだろうけど、お互いに乗り切ろうね!!!

🌺サーフィン初心者の注意点を丁寧に教えてくださったKさん、ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

あいちトリエンナーレについて


まず、8月5日投稿分

jbpress.ismedia.jp

 

🌟今いろいろ忙しいので(でも書きたい)、この投稿へのご返事は控えます(知らない人からのコメントが恐いので友達までの公開にします)。
あいちトリエンナーレの問題、一昨日の投稿に多数の素晴らしいコメントをいただき、そこでのやり取りで私の思いはだいぶ書いたので、その後の見解に興味を持っていただける方はお目通しください。

私はこの記事のすべてを理解できてないけど(「風の旅人」の佐伯編集長から知りました)、津田さんに関しての「素人が間違った椅子に座っているように思いました」や「胆力がない」には同感です。
このまとめも。

〈「あいちトリエンナーレ2019」コンセプトは、まさにこの「ポストトゥルース」のアイコンを「アート」あるいは「作品」と勘違いする、ジャーナリスティックな誤解が、今回の問題を生み出した、真の原因と私は思います。〉

私も批判したけど、すぐにやめてしまうのはまた違う。
安易な批判ではなく、覚悟の問題で、芸術なめるな、と言いたい。

私は過去、2年間、ある大企業が主催するアートアワードでグランプリだった現代美術作家のアシスタントをしていました。その人が画材として豚の血を使っていたことから、タブーや偏見への挑戦がいかに難しいかを身を持って体験しました。
企業がスポンサーとなってくれる大規模な展覧会で原爆ドームを模した作品を構想したけど、実現には至りませんでした。
その人の原宿でのパフォーマンスに警察が来たこともあったし、冷凍車で氷の作品を運搬していたら、中国人の密入国者の手伝いをしていると疑われて、アトリエに刑事が来たこともありました。

私自身は、初めての小説が講談社の新人賞で最終まで残った時に、屠殺の場面を描いていたことで同和問題に関わるとして、編集長から受賞し、活字になった場合にいわれのない攻撃に遭う恐れもあるが、大丈夫か?と覚悟を聞かれたことがあります。

つまり、芸術や小説は本気でやろうと思えば命がけです。
今回、アーティストには命がけの思いがあったと思うけど(私はよく取り上げられている少女像は作品としてはよいものだと思っていたけど、それ以外の中には水準に疑問を感じるものもあった)、津田さんはどうだったのか、もちろん、芸術監督はつくり手ではないのでそこまでの覚悟はなくてもいいかもだけど、だったら安易に(本人にそのつもりはなくても結果的に)声をかけるな、と思います。

河村市長の弁は論外、大村知事は視察の後での呑気な写真に覚悟など窺えないし、二人の元々の関係性が一層ややこしくしている。

また、この問題は、過去の9年間、「夏休みに子どもたちがアートに触れる機会を」という感じに学校からチラシをもらってくるイベントだったので、しみついたその感覚と、今回中止になった一部の展示との乖離に大きな違和感がありました。
不自由展、この場じゃなくてもいいのに、と。
今回中止となった作品がネットを通して拡大されて伝わる方々への印象とは違うと思う。

とにかく気持ちがまとまらないし、まとめる必要もないけど、その後の意見の一つとしてまた。
いつもなら表現の自由を守る側で声をあげるけど、そうじゃないのは、そもそもの覚悟みたいな点で、この問題はとても複雑だと思います。

 

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いただいたコメントでいちばん共感したもの。

☆ちなみに大学時代にお世話になったテレビ局のアナウンサー~コンプライアンス職を経験した方。

 

<まず、展示には反対です。思想信条とは別に、公的機関がこの外交的にセンシティブなタイミングで展示するものにふさわしいかどうか勘案すると、それは違うかなと思います。ただし、憲法が保障する基本的人権である表現の自由は絶対に守るべきものであったと思います。これだけ問題化した以上、そのまま展示することは難しかったと思いますが、何らかの誓約書を観覧者からとってクローズドスペースで展示するとか、表現の自由を守るための知恵を絞ってほしかった…

繰り返しますが、私は展示には反対です。ただ、展示してしまったからには・・・

今回の問題、いくつもの議論の余地があると思いますが、結局、ご自身でも言われていますが、津田さんが芸術家ではなくジャーナリストであるということに問題が帰結するのではないかと思っています。だから「覚悟」もなかったのかと。津田さんに関しては、著作権関係の問題で大いに賛同するところがあり、知人の弁護士と一緒に応援しているところでもあります。ただ、芸術家ではなかった・・・>

 

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その後、武田邦彦さんの弁などを聞いても私の感覚に近かった。

 

私なりの考えを整理すると、最初から一貫して書いているように、

①大村さんの津田さんへの依頼に疑問があった。

②津田さんは芸術サイドというよりはジャーナリストサイドで、そのズレが大きな問題となって表出してしまった。

③そもそも芸術の水準とは何か?

④ふだんの表現の自由の問題とは異なる社会情勢がある(日韓関係の悪化を考慮する必要が今はあって然り)

⑤とはいえ、中止を作家たちに相談もなく決めた姿勢は問題

 

とにかく、私には、大村さんと津田さんの甘さばかりが目立って感じられます。

河村市長の弁は稚拙では済まない愚かなもので、彼は南京大虐殺に関しても問題発言を行っており、名古屋市と南京市は姉妹都市だったのに、彼の発言のために関係が悪化しました(昨年、長男が中国に派遣されたことをきっかけに知った)。

この件をきっかけに、8月8日に豊橋市の市役所や学校関係に脅迫メールも入り、本当に大迷惑。

中枢の考えに深みが足りないことや、反応のされ方を残念に思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

8月3日の時点で書いていたこと

追記最新 中止になったそう。

🌟議論したいわけじゃなく、ひとつの意見として。
追記 コメントが高度でありがたい!!

 

あいちトリエンナーレは2回見に行ってるけど、前回も、豊橋会場の小鳥たちの展示で炎上(批判殺到)があったし(小鳥にまつわる良きシンクロの背景も知ってたけど、最終的には保護や譲渡問題も発生)、アーティストよりも大村知事の思慮の足りなさを感じていた。

津田大介さんは同じ大学学部の同じ世代で、メディアに登場した頃はおもしろかったけど、大村さんが芸術監督に任命した時に、なんで津田さん?と思った。
専門と違うし、安直な人選に思えた。

今回、あまりに直接的な表現なので、表現の自由がどうこうよりも、それぞれ、作品単体として私は魅力を感じない。
(※「表現の不自由展・その後」は、全体の中のごく一部ということは追記
※わざと画像は使用せずに書いているのは、このニュースではとかく少女像が出てくるけど、私はそれ以外の作品の方が疑問)

表現の自由への侵害だ!と援護する方々もいるけど、今回については違うと思う。
うまく言えないけど、違う。
とはいえ、即刻中止を求めるとした河村市長の物言いも短絡的。
考えたり議論したり、それ以前に開幕後の今?という感じ。

前回も今回も知事自体が芸術を深く理解しようとせずに現場任せにするからズレがどんどん生じている。
もちろん、県内のすべてを把握はしきれないけど、大村知事のスタイルは、目立つことをして目立つ場所で写真撮って、みたいな表層をなぞる感じで、知事としてこの問題をスルーしちゃいかんだろう!というセンサーが働いてない印象。

で、ダサイとか、ひどいとか、県民税返せになっちゃう。

ふだんなら私は芸術の側だけど、今回は県民税と思うよ(笑)

確かに何かを感じさせてくれる、だけど、なんか違う。

私は前回子どもらの学校に配布されたトリエンナーレのチラシがとても立派で、大量に捨てられるようなチラシなのに、税金かけすぎ、と思いました。

冒頭の小鳥の件も、小鳥たちが寒さに震えたり(会期の最初は暑い夏だけど、終盤は秋)、外に逃げてしまい胸が痛んだ。
今回その教訓は?(やはり重く受けとめてないんだな)と思うよ。

素敵なアートイベントも素敵なチラシもいいけど、度合いの問題で、公的なものとしてはどうなのか?(例えばチラシの紙質はもう少し下げても良いのでは?)というのがすべてに通じるかも。

津田さん以上に大村さん、かなり叩かれてるね。今までのいろんな甘さ(すり抜けて来れた)へのしっぺ返しが一気に来ちゃった感じ。

視察も済ませ、津田さんと楽しく写真撮った3日後の今の状況に、なんて会見するんだろう。

 

 

 

 

 

文字!

 
【8月2日】
 

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字がキタナイ長男(今はマシになった)、小1の時はまず、夏休みの作文を書く時に、そもそもマス目に字がおさまるのか?という心配があった。自分が低学年の頃には学校で配られたマス目の大きい原稿用紙が、今は売って(見つけられ)なかった。
マス目におさめることにつまずいて作文が嫌いになったらもったいないけど、我が子は作文自体は好きだった。
(なんでマス目にうまく書けないの?と思いはしたけど絶対に責めなかったし、同情していた)

その後、自由研究では大きな紙にマジックで書く時の下書きの配分がうまくいかなくて苦労した。

長男は作文は得意だが(ここにも書いてきたけど様々な賞を受賞。目安の意味で)、文字を書くのは苦手で、高校に入ってからはパソコンで打って仕上げたものを鉛筆で作文用紙に記入し、それはこなせてきた。

しかし今、大学入試用に提出する書類(AOなので、自分をアピールするかなりの分量)が、今わかっている2校はボールペン書きの指定。
私の時は鉛筆で良かった。

応募書類のダウンロードなどインターネットやパソコンを使うけど、応募は手書きでボールペン。
なんとなく、手書きとプリントアウト(パソコン入力分の提出可)の境目な気がする。

このボールペン記入がハードル高くて、間違えないようにと思い苦戦中。

元々長男は漢字が頭に入らなくて、たぶん、軽度のディスレクシア(言語分野の学習障害)に当てはまる部分はあるだろうと思っていた。

これは珍しいことではなく友達のお子さんにも診断された子がいるし、有名人だと映画監督のスピルバーグはディスレクシアをカミングアウトしたし、障害ではなくても、チームラボ社長の猪子さん(ちなみに東大出身)も漢字が読めない!と言っている。

創造的な人で漢字が苦手な人いるし、得意不得意や個性だと思う。

今はパソコンの力を借りれば、漢字や文字が苦手でも内面の考えを表出するのはたやすいのに、応募は手書きで、というのはいつまで続くのかな。

と、私自身は手書きに苦を感じたことはなかったし、手書きの文化を大事にしたいけど、左の原稿を右に清書する作業(努力でなんとかとも違った感じの苦手度)につまずく長男を見て、

①このくらいのこと(長文をボールペンで)をクリアできる水準になければ合格できなくて当然

②内容は素晴らしいのに、手書き(手段)に負けるのは残念だし、手書きの完成度を重視されるとしたら、パソコンの時代の今、お互いにもったいない。

などと考えながら見守り中。

これだけに集中&疲弊してるのではなく、今は生徒会で学校へ行ったし、遊びやバイトの予定も入れてるし(減らせ、と注意したり)、次男のところには毎日バスケ部来てるし、カオス!!!

次男は今日の夕方からは初の塾(夏期講習)に行くことにしたし、バスケ部は一昨日の敗戦&部活が終わった喪失感や傷心の時なので、しばらくは集まりたくなる気持ちがわかるので、よしとしている。

めっちゃ暑いし、とにかくカオス!!!(笑)

🌟写真は提出用の埋めるべきマス目。
ちなみに私は初めて小説を書いた時はまだパソコンを持ってなくて、原稿用紙よりも、自由帳を選択し、スケッチするようにして文章を書いていた。マス目の強迫観念は私も苦手(笑)
記入する用紙により、創造性や内容に変化ができると私は思う。
子育てにも通じる面があると思って記録。

 

 

 

 

海水浴(笑)

 

【8月1日 投稿分】

 

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今日は、県大会用に予定を空けてあったこともあり、実家に行ってきました。

どうしても海で泳ぎたくなり、水着を着て車に乗り、途中、白谷海水浴場で泳ぎました。
一人で(笑)

元々海の近くで生まれ育っていて、年に一度は海に入りたくなるんだけど、子どもが小さい頃はプールにはよく行ったけど、海で自分が泳ぐことはなかった。

海は準備がめんどくさい印象があるけど、去年、ココの海水浴場ならしれ〜っと泳げそうと思い、今年は行こうと思っていた。

一人だと荷物を見てくれる人がいないので(後でコインロッカーがあることがわかったけど)、車に置いていけるように、携帯電話が熱くならないように保冷剤と保冷バッグまで用意していた。いろいろトランクにしまって、よし泳ごう!と思ったら、最後、車のキーのやり場に困った😂

アナログのキーならいいけど、電池入ってる。

まじでどこかに埋めようかと思ったけど(笑)、そんなわけで、車と家の鍵を手に持った状態で、常に片手を水面から出して泳いでいた、というか、浮かんでいた😂
(たぶん、誰も持っていかないけどね)

そんな状態でも、やはり海は偉大。
earthing🌏
プカプカ、チョー気持ちよかった🌊

その後は濡れた水着(熱いベンチに座りキモチ乾かして)のまま車に乗り、実家へ。
昔からやることが息子みたいな娘、46歳になっても変わらず、両親に呆れられた(笑)

だけどこんな46歳も、アメリカの西海岸やハワイやリオデジャネイロにはいると思う🌺

私が海で浮かんでる頃、我が家にはやはりバスケ部が遊びに来ていた😊